SIRASAGI683
2015/10/09
佐村河内の物まね?ゴーストライターだった新垣。
どうやら、あまり恵まれない家庭で育ったそうです。
不安定な生活に嫌気のさした両親に連れられ、夜逃げのようにして故郷を捨てる事となったことは、後の新垣の音楽性に大きく影響している。
上野に着き、浅草で露天商を営むが、業績のあまりに低いことから廃業して親戚のつてを頼り葛西へ移住。
成績は中の下であったというが、音楽だけは常にトップの成績であったことから、将来は音楽によって恵まれない人々に希望を与えていこうと決意したと伝えられる。
どこかで「12歳で既に作曲をしていた」という情報もあり、新垣にとってゴーストライターの仕事は自身の才能を発揮する場所だったのかも?
ゴーストライターとして数々の名曲を作った新垣。
転機は、1996年ごろ、佐村河内守と出会ったことであった。
当時新垣の妻千恵子は結核に冒され、新垣の薄給では薬餌代が賄えなかった。そのため、本業の音楽活動の傍ら肉体労働に勤しむようになる。
その現場で出会ったのが佐村河内であった。その時の出会いから佐村河内守のゴーストライターを18年間務めた。
1996~2014年までゴーストライターだった新垣隆。
本当は「現代典礼」という交響曲として作曲されたもので、後で新垣ではなく佐村河内が勝手に命名したものである。
正式名称は交響曲第1番。
ただ、佐村河内氏はたまたま彼と出会い、才能に気づいて、どんどん仕事を発注した。「こいつだったら、こんな曲も書ける。こいつなら、この曲もいける。今度は74分のフルオーケストラだ」といったように、少しずつハードルをあげながら才能を引き出していったとも言えます。
皮肉なことに、佐村河内の行動がゴーストライターである新垣隆を育てた側面もありそうです。
新垣 隆(佐村河内 守 ゴーストライター) 作曲 HIROSIMA 第3楽章 後半
75分もある大作。ベートーベンの「第9」よりも長く、連作交響詩「わが祖国」と同程度の長さである。
ゴーストライターといえども、よく作ったものです。
佐村河内氏のおかげで、新垣さんは200名のフルオーケストラの前に立って、自分の作曲した楽曲を指揮するという経験をしたわけです。新垣さんは「音楽の徒」ですから、その喜びは何物にも代えがたいものがあったのではないでしょうか。
これが、共犯関係の基礎だったという説があります。
他にも様々にゴーストライターしていた新垣。
佐村河内守(新垣隆):交響組曲「ライジング・サン」
例えばゲーム音楽も手がけていたとか?
魂の旋律 音を失った作曲家 2
東日本大震災への追悼のレクイエム(ピアノ)も…
こちらは、後半10分以降をご試聴あれ。
ここからは、この騒動で話題になった画像や動画をご覧いただきます!ゴーストライター新垣は一転有名に…
「大学の講師」(笑)
【進撃の聾人】 聞けんの耳や 【オープニングテーマ】 コメあり
それにしても、替え歌を作ったゴーストライター?は誰なんでしょうか?
ゴーストライターについての反省は十分なのか新垣?
ゴーストライターとしての新垣隆そして佐村河内の横暴ぶりが描かれた皮肉の効いた1枚。
こんなタイトルもありました。残念ながらゴーストライターの新垣隆はうつっておりません(笑)
新垣に渡されていた指示書です。ゴーストライターとしての仕事はここからはじまります…
もっとも天才ゴーストライターの新垣にとっては不要の産物だったようですが。
実は、ゴーストライターをやめてから、新垣には出演依頼が殺到しているそうです。
新垣隆 ベートーヴェン ピアノ協奏曲 第3番 夜 第3楽章
ゴーストライターをやめてから大活躍!本当にピアノが上手くこのようなコンサートが殺到しているようです。
新垣隆&礒絵里子 CD発売記念 新垣氏作曲の新曲「ロンド」 生演奏!!
なんと新曲発表も!
【ドッキリ】新垣隆 ゴースト役がハマり過ぎ!?
結構怖いそうです。ゴーストライターがゴーストというのは洒落が効いています。
新垣隆 ピアノのためのソナタ(新垣氏が中学3年の頃の作曲作品)
なんと15歳でこれを自作した新垣。ゴーストライターとしての功罪はともかく、その天賦の才はもはや否定できません。
今後、新垣隆が新たな交響曲を作ることはあるのでしょうか?
Copyright© 運営事務局