同じマンションに住んでいた高田浩吉の息子と遊んでいたところを、芸能関係者にスカウトされ、幼児向け雑誌のモデルなどを経て、5歳で劇団ひまわりに入った。 1966年(昭和41年)に千葉真一主演映画『浪曲子守唄』でデビューし、続けて千葉や高倉健の主演作品に出演。しかし「子役は大成しない」というジンクスを心配した両親の勧めもあって、暫く芸能活動を休止した。 中学校入学と同時に、幼少時に共演した千葉の主宰するジャパンアクションクラブ(JAC)に入団。時を同じくして母の勧めにより日本舞踊の玉川流に入門。 1974年(昭和49年)には映画『直撃! 地獄拳』に出演した。 高校入学後、千葉のアドバイスで学業専念することになり、一旦芸能活動から身を引く。 1978年(昭和53年)、映画『柳生一族の陰謀』のオーディションに合格したことで芸能活動を本格的に再開。再デビューから千葉真一の「真」と千葉の本名(前田禎穂)の「田」を組み合わせ、真田 広之と名乗った。 同年、日本舞踊でも玉川流の名取となり「玉川大輔」の名を受けた。また、テレビドラマ『宇宙からのメッセージ・銀河大戦』で主演を務める。 日本大学藝術学部進学後も殺陣同志会に在籍して殺陣の向上に努めた。 1982年の香港映画『龍の忍者』(Ninja in the Dragon's Den )などで、Sonny Chiba (サニー千葉) に続く日本のアクションスター・デューク真田として日本国外進出も果たした。 1999年 - 2000年、イギリスのロイヤル・シェイクスピア・カンパニー公演『リア王』(蜷川幸雄演出)に唯一の日本人キャストとして出演。全編17世紀の英語の台詞でナイジェル・ホーソーンなどイギリス演劇界の俳優達と共演した。その演技力と共に日英両国の文化交流の架け橋としての功績を評価され、同国の女王エリザベス2世より名誉大英帝国勲章第5位(Honorary Member of the Order of British Empire: MBE)を授与された。 2002年(平成14年)に公開されアカデミー外国語映画賞にもノミネートされた『たそがれ清兵衛』で各映画賞を総なめにしたことや、2003年公開の『ラストサムライ』に出演したことで、日本を代表する俳優の一人となった。

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