「既婚者の恋」許されぬ恋に堕ちてしまったら、あなたはどうしますか

いけない恋だとわかっていてもとめられない想い・・・そんな恋愛をしたことありますか。そんな出会いをしたことはありますか。ましてや自分が既婚者だったり相手が既婚者だったりすると、苦しい恋に身を焦がすことは最初からわかりきったこと。それでも堕ちてしまうのが恋ですよね

既婚者の恋、どう思いますか?

恋はいいものです。でもそれが既婚者の恋となると・・・

『不倫は文化』という言葉があるように、既婚者が恋をすると不倫という名がつきます。先日のベッキーとゲスの極み乙女の川谷絵音との騒動も一方が既婚者であったがために相当なバッシングを受けています。同じ恋でも既婚者となると大問題に。しかしいけないこととわかっているのに、それでも止められないのが恋。既婚者の恋について世間ではどう思われているのでしょうか。

「不貞行為」とは、男女間の性交渉であり、性交渉を伴わない男女の密会等は「不貞行為」には該当しない。また、通常、「不貞行為」が離婚事由となるためには、一回だけではない反復した「不貞行為」が必要とされる。しかし、現在では一回の不貞行為だけでも不貞と認定されている事案が多数存在する。性交渉も同様に、性行為が推認できる証拠物があれば性行為そのものを立証する必要が無い場合もある。

出典:https://ja.wikipedia.org

民法第770条には『配偶者に不貞な行為があった時もう一方は離婚の訴えを提起することができる』とあります。では、その不貞行為とは何をさすのでしょう。男女間の複数回の性行為、というのが考え方の基本のようですが、そうなると「異性と二人きりで食事に行った場合は?」「ハグしたら?」「キスは?」・・・など疑問は残ります。未婚だろうが既婚者だろうがそのあたりの解釈はとても難しいところ。しかし既婚者の恋となると、結婚という契約を交わした以上法律に縛られる行為であるということは肝に銘じなければなりません。

「不倫は文化」 和歌でみる許されぬ恋の苦しみ

平安人は恋も自由。故に恋する苦しさせつなさを存分に味わっていました。

平安時代は通い婚といって男性が女性の元へ通うという婚姻形態でした。男性は気に入った女性の元へ足繁く通い、女性は恋しい男性の訪れを今日か明日かと心待ちにする、しかも当時は一夫多妻制でしたから、男性には他にも妻や恋する相手がいます。現代で言うなら既婚者相手の恋です。今頃はどの女の所へ行っているのかと思いながら待てど来ない人を待つ苦しさは、いかばかりだったでしょう。

「恋ひ恋ひて 逢える時だに 愛おしき(うるわしき) 言尽くしてよ 長くと思はば」

万葉集、大伴坂上郎女(坂の上のいらつらめ)作。
『恋しくて逢いたくてあなただけを想っていたのだから、ようやく逢えたときくらいあれやこれや優しい愛の言葉を尽くしてよ。この関係を長く続けたいと思うのならば』
恋しい人にようやく逢えた時の喜び幸せはいつの世も同じですね。恋ひ恋ひて、という最初の一言に激しい感情を感じます。

「嘆きつつ 一人寝る夜の 明くる間は いかに久しきものとかはしる」

拾遺集、右大将道綱の母作。
『逢いに来てくれない恋しいあなたを想い、嘆きながら眠る一人の夜がどんなに長く暗いものか・・あなたにはわからないでしょう。あなたにもわかればいいのに・・・』
恋しい人と共に過ごす夜はあっという間なのに、一人で過ごす夜はなかなか明けない。そんな経験ありますよね。恋の相手が既婚者となると夜は更に長く暗いものに・・・。
ちなみにこの歌は、他の女の元に通い詰める夫へ向けての歌です。浮気が本気となるのではないか?そんな不安も滲ませます。

「思ひつつ 寝ればや人の 見えつらむ 夢と知りせば 覚めざらましを」

新古今和歌集、小野小町作。
『恋しい人を思いながら眠りについたらあの人が夢に現れてくれた。夢とわかっていたなら、目を覚ましはしなかったのに・・・』
才色兼備の小野小町。恋もさぞかし自由に楽しんでいたのだろう、と思いきや小町の歌には思うがままに逢えない叶わぬ恋の歌が多いのです。夢でしか逢えない、そんな苦しい恋をしていたのでしょう。

「あらざらむ この世のほかの思ひ出に いまひとたびの 逢うこともがな」

後拾遺集、和泉式部作。
『もうすぐ私はこの世から旅立ちます。あの世への思い出として、もう一度あなたに逢いたい』
死の床にある女性が絞り出す最期の願いが「恋しいあの人に逢いたい」というもの。激しく熱く一途な情念すら感じさせます。和泉式部という人は恋多く奔放な女性として有名でした。また、和歌の名手としても数々の作品を残しています。この歌はそんな彼女が叫ぶように書いたまっすぐな歌という印象です。特に難しい技法も使われていません。それだけに胸に迫ってきます。

悠久の時を超えて共感する恋の苦しみ・喜び・切なさ・愛おしさ・・・・

既婚者であれ、未婚であれ、恋をすると色々な感情を味わいます。喜びもあれば叶わぬ思いの苦しさ、嫉妬や憎しみといった暗いものや、相手を思いやる極上の愛情まで、自分で自分の変化に驚くことしきりでしょう。平安の人々はそんな恋する気持ちに正直でした。嫉妬や憎悪の感情からも目をそむけず、刻むように言葉を紡いで三十一文字の歌に残しました。

「あふことの 絶えてしなくばなかなかに 人をも身をも 恨みざらまし(中納言朝忠)」(もしもあの人と出会い愛し合うことがなかったら、あの人のつれなさを恨むこともこんなに苦しむこともなかっただろうに・・・)
「黒髪の 乱れも知らずうち臥せば まづかきやりし 人ぞ恋しき(和泉式部)」(髪が乱れることも構わずうつ伏せて泣いていれば、真っ先にかきあげてなだめてくれる、あの人が恋しい。)
「色もなき 心を人にそめしより うつろはむとは 思ほえなくに(紀貫之)」(色がなく平坦だった私の心はあなたと愛することで豊かに色づきました。この心の色が変わってしまうなど、かんがえられないことです)
「忘れじの 行く末までは難ければ 今日を限りの 命ともがな(儀同三司母)」(「ずっと忘れない」というあなたの言葉はきっとこの先ずっとは続かないでしょう。ならばその一言が聞けた今日、この命が尽きてしまえばいいのに)

激しい恋の感情は昔も今も変わらないのです。 

では現代は?!既婚者の恋を歌った曲

既婚者の恋を歌った曲

既婚者の恋を歌った曲、切ない気持を歌いあげ泣ける楽曲が多いですよね。既婚者に限らず、叶わぬ恋をしている人にはぐっと来るのではないでしょうか。

「白雪姫」 Flower 

恋した相手は既婚者なのでしょうか?相手に愛する人がいることをわかっていても忘れられない。自分だけを見てほしい、そんな気持ちを静かに表現しています。忘れられないって苦しいですね。

「純愛ラプソディ」 竹内まりや

「平凡を生きてきた、そして愛した人は他の人のもの・・・とことん主役にはなれないけれど恋をして強さと優しさを知った」既婚者との恋というと暗く思いイメージですが、こんな風に自分を成長させられる恋愛は素敵です。

「誰かの願いがかなうころ」 宇多田ヒカル

「今さえあればいいと言ったけどそうじゃなかった」あなたを引きとめたいのに扉は静かに閉まってゆく・・・私が幸せだと誰かが泣いている。誰だって幸せになりたいのに誰かの不幸の上にある幸せを求めていいの?葛藤しながらも別れを決めた、恋の苦しさを描いています。

「潮騒」 Scoop On Somebody

恋しさの激しい感情と、決して自分のものにならないであろう恋人への思いを綴った、美しいとさえ思える不倫ソング。「こんなに好きと言わせたくせに あんなに好きと言ってたくせに」なじりながらも離れられない、恋の苦しみに胸が熱くなります。

「はつ恋」 福山雅治

「帰るべき場所がある 守るべき人がいる 愚か過ぎる過ちと知っているから・・・」既婚者同士の恋愛を想像させます。「時間はいつかこの恋に答えをくれるの?」先の見えない恋に胸をかきむしられるようです。

既婚者の恋を歌った歌は苦しい歌詞が多いですよね。暗く重く切なく未来のないものというイメージ、それは道ならぬ恋とか許されぬ恋とか、そんな言い方もされるせいでしょうか。そうとわかっているのに、人はどうして叶わぬ恋に落ちてしまうのでしょう。既婚者の中には「恋はビタミン剤!いつまでも綺麗でいるために恋をするの!」という割り切った考えの人もいるかもしれません。「退屈な毎日だから楽しく生きるために恋をするの!人生は一度きりだもん!」という人もいるかもしれません。人はそれぞれ、それはそれでいいでしょう。
けれど・・・本当の恋をしたことありますか?
本当の恋をしている人を心のどこかで羨んだこと、ありませんか?
「すぜてを失うかもしれない」「見返りはなくてもいい。この人に自分のすべてを捧げたい」「人生の最後にこの人に全部を賭けたい」・・・
そんな恋愛に出会えた数少ない人を羨ましく思ったこと、ありませんか?
今回のベッキーと川谷絵音の不倫騒動も、騒ぐ側にそのような嫉妬の気持ちはなかったでしょうか。真っすぐ信じて愛そうと覚悟を決めたベッキー、既婚者だけど独身かのような身勝手な姿勢で付き合っていた川谷、浮気の証拠のラインの履歴をリークしたと言われている川谷の妻。それが本当なら彼女は完全に自分は被害者だと思っていますよね。浮気された、不倫された、自分は悪くない、と。この三人の中で、今、すべてを失ってぺしゃんこになりかけて、それでも全部の責任を一身に引き受けているのは誰なのでしょう。そこまでの覚悟をしていたのは誰だったのでしょう。本気で愛していたのなら、ベッキーには後悔も謝罪もしてほしくない、と思うのは私だけでしょうか。
既婚者の恋、既婚者との恋は、不倫と言われしてはいけないことなのでしょう。しかしそこに至るまでの経緯と覚悟があるということもまた事実です。

映画に描かれた既婚者の恋

「恋におちて」 1985年公開

ロバートデニーロとメリルストリープの名演技は必見ですね。
お互い既婚者同士でそれぞれが申し分のない家庭を持つ身でありながら惹かれあっていく、静かに進む恋愛です。プラトニックな関係から先に進めないまま妻にばれ、「彼女とは肉体関係はないから」と言った主人公に対し、「その方がもっとひどいわ」と言った妻の言葉が印象に残ります。

「恋におちて」より

既婚者同士の切ない純愛を描いた映画。どうしても一線を越えられず、キスと抱き合うことで互いを確かめ合っている姿が苦しいです。

「マディソン郡の橋」 1995年公開

生涯にたった一人だけ『心が繋がる相手』、その相手と出会った時自分はすでに家庭がある身・・・あなたならどうしますか?女性は既婚者、男性は流れ者。2人が過ごしたたった4日間の物語です。一生忘れられないこの4日間を胸に秘めて生き抜いた男女の姿に本当の愛情と人の生き方についてを考えさせられます。

「マディソン郡の橋」より

映画の場面を音楽とともに綴っています。愛し愛される喜びを知ると人ってこんなに変われるのですね。感動すら覚えます。既婚者の身でありながら他の人を愛してしまった女性の苦悩と既婚者を愛してしまった男性の一途さに泣けます。

「危険な情事」 1987年公開

既婚者と独身女性の出会いから始まる恋愛。男にとってはただの火遊び、しかし女にとっては運命の出会いだった。ストーカーを題材にした映画のはしりではないでしょうか。

題材になりやすいのか、既婚者の恋をテーマにした映画は他にも多数あります。若い時分に観た印象と、それなりに経験を積んだ今観たのとでは受ける印象もまた違うもの。若い時にはあっさり観ていたものが今は心に響いたり、若いころ夢中になって観ていたものが今はそれほど感動できなかったり・・・年を取るごとに感性も変わってくるものなのですね。

小説に描かれた既婚者の恋、あれこれ

「夜明けの街で」 東野圭吾

映画にもなったこの小説。主人公の男性は「不倫をするやつは馬鹿だ」と思っています。それが一人の女性と出会ったことにより、既婚者の身でありながら不倫にのめりこんでゆきます。15年前の殺人事件と知らぬ間にハマってゆく不倫の恋、二つが絡み合うサスペンスです。

「私が語り始めた彼は」 三浦しをん

ある一人の大学教授を巡る愛憎劇。既婚者でありながら、ひたすら愛情を求めた続けた主人公が最後に手にしたもの、それが彼が望んだものだったのか・・・「愛じゃなく理解」最後の一言が心を打ちます。

「失楽園」 渡辺淳一

言わずと知れた不倫小説の金字塔。映画やドラマにもなりましたね。不倫とは無縁と思っていた人妻と彼女を激しく求める男。既婚者同士の恋愛で有名になりました。互いを求め合うあまり、家庭からも社会からも切り離されていく2人。「至高の愛のまま死にたい」究極の想いが物語を支配してゆきます。

既婚者の恋

既婚者の恋は不倫と言われます。不倫とは倫理から外れること。確かに結婚という契約を交わした以上、配偶者以外との恋愛は倫理から外れることなのかもしれません。しかし、本当にそれだけの理由で感情をコントロールできるものなのでしょうか。映画や小説、音楽に描かれた許されぬ恋愛の形から、人を愛する喜びや苦しみ切なさを今一度味わってみてはいかがでしょうか

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