グリ777
2016/08/25
生年月日:1936年2月20日
出身地:千葉県印旛郡臼井町(現:佐倉市)
身長・体重:178cm・76kg
1958年に読売ジャイアンツへ入団。
長嶋茂雄は高校時代からプロ野球も注目する才能の持ち主であり、長嶋茂雄本人もプロ野球選手を目指していたが家族の反対により大学へ進学。大学卒業を前にジャイアンツが家族を説得してプロ野球選手の道を進む。
1958年4月5日のデビュー戦で全ての打席を全力のフルスイングで空振り三振したことや、1959年の天覧試合(天皇が観戦する試合)においてサヨナラホームランを打つなどの伝説を数多く残していることから、後にミスタープロ野球と呼ばれるようになる。
長嶋茂雄さんの夫人・長嶋亜希子さん
こちらが長嶋茂雄さんの夫人、亜希子さんです。
亜希子さんは高校時代にアメリカに留学。現地の高校である「聖テレサ大学」を卒業します。
そのために、英語・フランス語・スペイン語が話せるという才女なのです。
その外国語の能力を生かし、1964年の東京オリンピックではコンパニオンを努められたそうです。まさに才色兼備!素敵な女性ですね。
長嶋氏は当時、報知新聞の企画で同五輪を取材し、その縁で亜希子さんと知り合い、2人は65年1月26日に結婚。長男の一茂さんら2男2女をもうけた。
当時、長嶋茂雄さんは新聞社の対談企画でコンパニオンを取材しており、そこで出会った亜希子夫人にヒトメボレ。猛アタックの末に婦人と結婚し、タレントの一茂さんら4人の子供をもうけました。
世紀の大スターである長嶋茂雄さんと、才色兼備の亜希子夫人との結婚は当時のニュースでも大きく取り上げられました。野球ファンからも、コンパニオンとしての亜希子夫人のファンからもきっと羨ましく思われたことでしょうね。
茂雄のモットーである「男の職場に顔出すな」を忠実に守り、また2男・2女をもうけるなど、家族円満の生活を送った。2004年3月、夫が脳梗塞で倒れた時も、そのリハビリテーションに付き合った。
長嶋茂雄さんという大スターを献身的に支え続けたという亜希子夫人。
2004年に長嶋茂雄さんが脳梗塞に倒れ、奇跡的に復活するも半身マヒや言語障害が残ったときも、リハビリに付き添い共に病気と闘ったそうです。
現役当時の長嶋茂雄さんと亜希子夫人。腕の中には生まれたばかりの一茂さん。
ところが、一見幸せそうに見えた長嶋一茂さんと夫人の結婚生活にはさまざまな苦労があったといいます。夫である長嶋一茂さんは日本中のスターですから、亜希子夫人には人知れないところで悩みも多かったのではないでしょうか?調べてみるとその苦労が少しずつ明らかになってきました。
東京オリンピックのコンパニオンという華やかな場面を経験して、子育て、家事に専従すると、相手、夫が有名で有能なスポーツ選手であっても、自分はどう生きていいのか、悩まないはずはない。
長嶋茂雄さんと亜希子夫人が結婚した1960年代には、まだアメリカ留学の経験のある女性というのは大変少なかった時代でした。
女性は結婚したら家に入って夫や家族を支えるものだ、というのが当たり前の時代。亜希子夫人も、大舞台で活躍した経験を持つにも関わらず、影から長嶋茂雄さんを支えるという「裏方」に回ったのです。
悩みもあったでしょうし、きっと自分に言い聞かせることも多かったのではないでしょうか。
長嶋一茂さん
そんなストレスの中でもっとも亜希子夫人が頭を痛めたのは長男の一茂氏のことだった
息子の将来を案じる亜希子さんには、それもまたストレスになったのでしょう
長嶋茂雄さんと亜希子夫人の長男・一茂さんは、現在のタレント業を始める前まで長嶋一茂さんと同様、プロ野球選手として活躍していました。
その際に亜希子夫人が最も心配したのは、偉大すぎる父・長嶋茂雄さんと一茂さんが比較されてプレッシャーによって潰されてしまうのでは、ということだったそうです。
長嶋茂雄さんがジャイアンツの監督をしていたとき、亜希子夫人は「一茂を一流に育ててやってほしい」と頼んだそうですが、長嶋茂雄さんに聞き入れてもらえず対立してしまったのです。
一茂さんにとって亜希子さんの存在は
「本当にすべて。けんかもよくしたし、長男としても厳しくしつけてもらった。テレビのコメントを教えてもらったり、優しい母だった」
当時の日刊スポーツ新聞一面
長嶋氏は病院にかけつけ「亜希子、亜希子」と名前を呼んだが、意識は戻らず、そのまま帰らぬ人となった。長嶋氏は帰宅後、遺体のそばに寄り添い、泣きじゃくる二女三奈さんらを気丈に励まし、亜希子さんの遺体には「よく頑張ったな」と語りかけたという。
2007年9月18日、亜希子夫人は長男の一茂さん一家と食事をした後の帰り道で急に体調不良を訴え病院に運ばれます。
病院には長嶋茂雄さんを始め家族も駆けつけ、特に長嶋茂雄さんは何度も夫人の名前を呼んでいたそうですが意識は戻らず、帰らぬ人となってしまいました。まだ64歳という若さでした。
はっきりと断言する。長嶋茂雄夫人の亜希子さんは自殺した。場所は自宅がある田園調布ではなく「都内のマンション」。時間は昨夜。2億円はくだらないという億ションのリビング・ダイニング(19・5畳)で首を括って死んだのだ
亜希子夫人は早くから長嶋茂雄さんとは別居状態にあったことは事実で、ここにあるように一茂さんが「自宅」に送り届ける途中で体調を崩したというのは首を傾げるところではあります。
しかしながらあまりにも憶測の域を出ないため、自殺ではないか?という報道が大きくなされることはなく真相は不明のままです。
長嶋茂雄さんという国民的英雄の夫人が亡くなったというだけに、マスコミからあらゆる噂が出てくるのは当然といえば当然なのですが...。
以上、亜希子夫人が人知れず抱えていた悩みやストレス、そしてその死にまつわる噂を見てきました。亜希子夫人ご自身も優れた能力と華々しい経歴をお持ちであったにも関わらず、夫である長嶋茂雄さんを支えていくと決めた決意。息子を思う愛情の深さと配慮。相当な覚悟と家族への愛情がなければ成せることではありません。
女性なら誰しも憧れるであろう、有名人との結婚。その裏では、夫人の努力と苦悩が隠されていたのです。
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