fujigasako
2016/07/15
ファッションの聖地フランス
ファッションといえばフランス。パリ・コレクションやオートクチュール、ココ・シャネルなど、ファッションに興味の無い人でも知っている言葉はフランス発。常に世界のファッション史を塗りかえてきたフランス生まれのファッションデザイナー達に注目します。
ファッション界の伝説ココ・シャネル
言わずと知れたシャネルの創設者ココ・シャネル。女性の社会進出の先駆けとなり、何ものにも束縛されないその生き様とファッションは絶大な支持を受けた。
過去の成功したデザイナーは皇室、女優などの影響力を利用してスタイルを提案していくことが多かったが、シャネルの場合は、その美貌と女性として持っていたカリスマ性、活動的な性格、生き方など自分自身がブランドの広告塔となった。
フランスの名が世界に轟いた瞬間
ジャージー生地で出来たシャネル・スーツは女性を自由にした。フランスのファッションの斬新さを世界に見せつけた。
身軽で動きやすい服を求めて、男性用の下着に使われていたジャージー素材にを取り入れたり、紳士ものであるツイード素材を女性用スーツに仕立て、女性がパンツを履くスタイルなどを提案した。
ファッションの革命
喪服としてしか使われなかった黒をファッションに取り入れたココ・シャネル。今では当たり前のことが当時はセンセーショナルだった。
シャネルはまた、喪服でしかなかった黒をファッションの色として取り入れたが、このことに関して、「きらきらした衣装を作るのは簡単でも、リトルブラックドレスを作るのは難しい」と語っている。その他、ベージュ色を好み、「本当の大地の色」として、ジャージのスーツに織り込む。
ファッションといえばフランス!
シャネルの台頭により、「ファッションといえばフランス」という式が出来上がったと言っても過言ではない。シャネルは香水、鞄、化粧品など女性のファッションすべてをサポートしている。
シャネルのシンプルで直線的なシルエットの服を着たモデルが、車の前に立つといった広告はモダニズムのイメージをそのまま表現するものでした。
シャネルがモダニズムやアヴァンギャルド的な思想を持っていたかは別にして、彼女の表現が当時としてはよりアヴァンギャルドで、時代の変化を象徴するものであったことは間違いないでしょう。
フランス・ファッション界に新しい風
1946年「クリスチャン・ディオール」を立ち上げる。その2か月後に発表したコレクション「花冠」は後に「ニュー・ルック」と呼ばれるようになり、世界に一大旋風を巻き起こす。自身も裕福な家庭の出身であり彼のコレクションは贅沢なものであったことから、戦時中、ディオールの服を着る余裕のない階級の女性達から過激な攻撃を受けた。
フランスの名が世界に轟いた瞬間
エレガントで華やかなこのファッションスタイルは「ニュー・ルック」と呼ばれフランスに華やかさをもたらした。またフランスだけでなく特にアメリカで熱狂的に受け入れられた。
終戦後現れた「ニュー・ルック」で、スカートはウェストで絞りフレアで広がるように、上半身はふんわり包まれるようなスタイルになった。クリスチャン・ディオールが発表したこの「ニュー・ルック」により、フランスモードに華やかさが戻った。ディオールは、女性らしい、軽やかで自由なデザインを次々と発表した。
1947S/Sシーズンにでパリコレクションにデビュー。ペチコートで膨らませた曲線を強調したゆったりなだらかな肩に細く絞ったウエスト、くるぶしまであるロングスカートという優美なスタイルの「花冠ライン」を発表。そのシルエットの美しさに驚いた「ハーパース・バザー」の編集長カーメル・スノウが、「これはまさにニュー・ルックね」と言ったことから、そのデザインはニュールックと呼ばれて、世界のモード界に新しい風を吹かせる。
その後、48年、ジグザグライン、50年、バーティカルライン、51年、オーバルライン、52年、シニュアスライン、53年、チューリップライン、54年、Hライン、55年、Aライン、56年、アローラインと、次々と新しいシルエットを提案し、50年代のファッションをバレンシアガとともにリードした。
ディオールの「ニュールック」は女性の服装に革命を起こし、また、第二次世界大戦後のパリを再度ファッションの中心地として復興させた。 戦後のファッションの指針を示したディオールは47年から57年までの11年間、パリのオートクチュール界の頂点に君臨する。彼は毎シーズン、ラインというテーマに沿って作品を発表した。
フランスの代名詞
華やかなそのファッションはまさにフランスそのもの。残念ながら1957年52歳で心臓発作により急逝したクリスチャン・ディオール。たった11年の活動でこれだけの革命をもたらしたのだから、もっと生きていればフランス・ファッション界の重鎮となっていたことは間違いない。
モードの帝王イヴ・サン=ローラン
若い頃からファッションデザイナーとしての才能を発揮し1954年18歳で「クリスチャン・ディオール」のデザイナーとなる。そして1957年21歳の時に急逝したクリスチャン・ディオールの後継者となり「クリスチャン・ディオール」を救う。1961年に自身のブランド「イヴ・サンローラン」を立ち上げ、ニューモードと呼ばれる新しいファッションを展開、「モードの帝王」と呼ばれた。
フランスから起きた女性ファッションの革命
パンツスタイルで外へ出ることはなかった女性達を解放したイヴ・サン=ローランのスモーキング=タキシード。世界は衝撃を受けた。
1966年に初めてコレクションで女性のためのタキシードを発表して以来、どのコレクションにも必ず、タキシードに関連したサッシュベルトやボウタイ、サテン襟のジャケットといったアイテムを展開してきました。
サファリルック
両胸にポケットのあるサファリルック。今では定番となっているこのファッションは、フランスが生んだモードの帝王イヴ・サン=ローランが定着させたもの。
60年代後半には、大腿部までのロングブーツやサファリ・ルック、シースルー・ドレス、ポップアート・ドレス、ミリタリー・ルック、パンタロン・スーツなどを発表。
アニマルプリントの布地、水兵服、スキー服、紳士服用の生地などが使用されました。この流れの中心がイヴ・サンローランであり、バレンシアガなども代表として上げられます。
70年代にはコサック・ルックやフォークロア調のデザインを発表。名実共にモードの帝王と呼ばれるようになる。85年、レジヨン・ドヌール勲章を受勲。93年、デ・ドール賞を受賞。
人生をかけてファッション界に革命を起こしてきたフランス人ファッションデザイナー達。それはフランスが生んだ世界の宝。次の革命児もフランスが生み出すのか?フランスから目が離せません。
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