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ホントは弱い!?亀田3兄弟長男、亀田興毅の真の実力とは?

試合をするたびに実力を問題視されてしまう亀田興毅。
経歴だけを見れば日本でもトップクラスの実力があるようにみえる亀田興毅ですが
実際に亀田興毅のボクシングの実力は、どの程度のレベルなのでしょうか?
そんな亀田興毅のボクシング人生を振り返ってみましょう。

実力は本物か?ボクシング亀田興毅のプロフィール

本名 亀田 興毅
通称 浪速乃闘拳
階級 スーパーフライ級
身長 165.9cm
リーチ 169cm
誕生日 1986年11月17日(28歳)
出身地 大阪府大阪市
スタイル 左ボクサーファイター

亀田興毅選手は身長よりもリーチが長いですね。
実力のあるボクサーに多い体型です。
という事は、やはり実力があるのでしょうか?

亀田 興毅(かめだ こうき、男性、1986年11月17日 - )は、日本のプロボクサー、実業家。大阪府大阪市西成区天下茶屋出身。
第21代WBA世界ライトフライ級王者。第36代WBC世界フライ級王者。第91代WBA世界バンタム級王者。日本人初の3階級制覇王者。

出典:https://ja.wikipedia.org

亀田興毅選手は日本人初の3階級制覇を達成しています。
経歴だけを見ると実力は十分にありそうですね。

亀田興毅の実力検証!アマチュア時代について

中学生時代の亀田興毅選手

11歳の時、父・史郎からボクシングを教わるようになる。
大阪市立天下茶屋中学校時代の3年間は、空手とボクシングの練習を並行して行っていた。
14歳の時、井岡弘樹とエキシビションマッチを行った。
中学卒業後、ボクシングに専念するため高校には進学せず、社会人ボクシングで活動した。

出典:http://ja.wikipedia.org

経歴や待遇を見ても亀田興毅選手は
当時から実力を期待されたボクサーだったようです。

2002年全日本実業団選手権フライ級優勝(当時15歳6か月)、
全日本社会人選手権フライ級ベスト4。
全日本アマチュアボクシング選手権大会近畿予選大会フライ級優勝。
2003年全日本実業団選手権フライ級優勝、
第55回全日本社会人選手権フライ級優勝(16歳10か月)。

出典:https://ja.wikipedia.org

亀田興毅選手はアマチュア時代からタイトルを総ナメ!
作られた経歴ではなく、しっかりと実力をつけているのが分かります。

亀田興毅、17歳でプロ転向!アマチュア時代の実力は通用したのか?

いよいよプロの世界へ...
亀田興毅選手の実力やいかに?

17歳の誕生日(2003年11月17日)にプロボクサーとなった。
2005年4月28日に大阪のグリーンツダジムから東京の協栄ジムへ移籍。
この時、3,000万円という移籍金が支払われたと報道された。

出典:https://ja.wikipedia.org

亀田興毅選手への移籍金はボクシング界、期待の現れですね。
名門ジムが放って置くはずがありません。

名門!協栄ジム移籍後の亀田興毅の実力は?

それでは亀田興毅選手の
移籍後の戦績を見てみましょう。

2005年6月20日☆1R 2:59 KO サマン・ソー・チャトロン
2005年8月21日☆3R 0:50 TKO ワンミーチョーク・シンワンチャー OPBF東洋太平洋フライ級タイトルマッチ
2005年11月26日☆7R終了 TKO ノエル・アランブレット
2006年3月8日☆6R 2:20 KO カルロス・ボウチャン
2006年5月5日☆2R 1:28 TKO カルロス・ファハルド

出典:http://ja.wikipedia.org

東洋チャンピオンにもなり、全ての試合KO決着で無敗のまま世界タイトルに挑戦します。
しかし対戦相手が全て海外選手ということもあり実力を問題視する意見もありました。

亀田興毅、いよいよ世界へ!その実力は、どの程度だったのか?

亀田興毅、初世界戦での実力は?

2006年8月2日、元WBA世界ミニマム級暫定王者ファン・ランダエタとのWBA世界ライトフライ級王座決定戦を行い、12回判定(2-1)勝ちを収めて王座を獲得。しかし、初回終了間際他二度ダウンを喫するなど終始苦戦した亀田が王座獲得をしたことは賛否両論を呼んだ。「ランダエタが勝っていた」という声も上がり、社会問題にまで発展した

出典:https://ja.wikipedia.org

亀田興毅、ダウンの瞬間!

一気に亀田興毅を世間に知らしめた試合でしたね。
ダウンを奪われ苦戦しながらの僅差の判定勝利。
さらに実力が問題視される結果になりました。

亀田興毅、負けないボクシングを展開!

2006年12月20日、「王座決定戦の勝者は初防衛戦で
世界ランキング1位の選手との指名試合を行わなければならない」という
WBA規定と再戦を要求する声があったこともあり、東京・有明コロシアムにて、
ファン・ランダエタ(ベネズエラ・同級1位)との再戦が初防衛戦として行われ、
12回判定(3-0)勝ちを収めて初防衛に成功。

出典:http://ja.wikipedia.org

再戦では3-0のストレートで判定勝ちではありましたが、
これは実力で圧倒したというよりは亀田興毅陣営の作戦勝ちといったところでしょうか?

亀田興毅の実力は?2階級制覇への道のり編

亀田興毅、内藤大助撃破で実力を知らしめた?

2007年3月24日☆10R 判定3-0 エベラルド・モラレス
2007年5月23日☆8R 2:23 TKO イルファン・オガー
2007年7月28日☆10R 判定3-0 セサール・ロペス
2008年3月22日☆10R 判定3-0 レクソン・フローレス
2008年7月12日☆2R 1:54 KO マリノ・モンティエル
2008年8月30日☆12R 判定3-0 サルバドール・モンテス メキシコ WBAインターコンチネンタルフライ級王座決定戦
2009年3月4日☆2R 2:09 KO ドローレス・ビダル
2009年9月5日☆5R 2:29 KO ウンベルト・プール
2009年11月29日☆12R 判定3-0 内藤大助 (宮田) WBC世界フライ級タイトルマッチ/2階級制覇

出典:https://ja.wikipedia.org

誰もが認める実力者、内藤大助を破り、見事2階級制覇と成し遂げた
亀田興毅選手、決して実力がないというわけではありませんが
試合内容などの印象から、やはり実力を疑われ続けます。

ついに実力発揮?亀田興毅、日本人初の3階級制覇へ。

日本人初の快挙を成し遂げた亀田興毅選手。

2010年12月26日、アンセルモ・モレノのスーパー王座認定に伴い
元WBA世界スーパーフライ級王者アレクサンデル・ムニョスと
WBA世界バンタム級王座決定戦を行い、3-0(116-109、115-111、117-109)の判定勝ちを収め、
WBA世界ライトフライ級王座、WBC世界フライ級王座に続き、
WBA世界バンタム級王座の獲得に成功し、日本人選手としては初となる
世界王座3階級制覇を達成した。

出典:https://ja.wikipedia.org

亀田興毅選手は
強豪相手にフルラウンド戦えるだけでも
実力がないわけではないようです。

ズバリ!亀田興毅が実力を問題視される原因とは?

亀田は養殖モノ。陣営が丁寧に作ったレールに乗ってここまできた。
世界王者の器と断言はできない。ただ、スポーツの世界では実力が足りなくても、
周りの雰囲気に乗って活躍以上のものを発揮することはある。

出典:http://www.asyura2.com

亀田興毅選手の実力が問題視される理由の一つとして
殆どの試合が陣営によるマッチメークで操作された戦歴であることがあげられます。

元世界王者2人と東洋太平洋フライ級王者もマットに沈めている。
戦績だけ見れば立派な“怪物”だ。
しかし、亀田が倒したのは「勝ったことがない」「デビュー戦」という外国人選手も多く、
日本人との対戦は一度もない。倒した2人の元世界王者もピークをとっくに過ぎた「ロートル」だ。

出典:http://www.asyura2.com

亀田興毅選手の実力が疑われてしまう一番の理由は
勝てそうな対戦相手を選んでいると言う事が大きな原因のようです。

【結論】亀田興毅は本当に実力があるのか?

亀田興毅選手の現在までの経歴を見るかぎりアマチュア時代の実績や
プロ転向後の3階級制覇など、実力あっての結果ですよね。

何故、亀田興毅選手の実力が未だに疑われているのかというと
記録を意識しすぎた亀田興毅陣営のマッチメークや
亀田興毅選手自身のファイトスタイルによるものだと思います。

年齢的にも残り少ない選手人生を
悔いのないよう実力を出しきるファイトを期待したいですね!

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