人気絶頂の中で引退した歌手・山口百恵さん~生い立ちから現在まで~

    山口百恵さんは波乱万丈な幼少期を過ごした経験があったからこそ、結婚後は家庭を第一に考えたいと、人気絶頂真っ只中での引退を決意したのかもしれません。引退して37年経った今でも歌い継がれる山口百恵さんの名曲。ご家族と幸せな生活を送られているようで何よりですね。

    山口百恵さん~「伝説の歌姫」と呼ばれる理由とは~

    番組で歌う山口百恵さん

    1980年、人気絶頂の中で惜しまれつつ引退した歌手・山口百恵さん。

    「いい日旅立ち」「秋桜」「プレイバックPart2」など数々のヒット曲を持ち、映画「伊豆の踊子」やドラマ・赤いシリーズなど女優としても活躍していた百恵さん。
     
    引退依頼37年もの月日が流れましたが、引退した後は現在までほとんど表舞台に姿を見せることがなく、歌手・山口百恵としてテレビなどに取り上げられる際には、時折「伝説の歌姫」と称されています。
    活躍当時生まれていなかった10,20代の方も、お母さんがカラオケで歌っているから知ってる!という方も多いのではないでしょうか。

    今回はそんな彼女の生い立ちから引退後の生活までに迫ります。

    山口百恵さんが歌手になった理由

    制服姿の山口百恵さん

    「スター誕生」出場がきっかけで、中学3年生・14歳の時にデビューしました。

    山口百恵さんは、1959年1月17日の東京都渋谷区生まれ。

    幼少期を神奈川県横浜市、小学2年生から中学生でデビューするまでを同じく神奈川県の横須賀市で過ごします。

    彼女は母子家庭で、生活保護を受ける貧しい環境の中で育ちました。
    父親は医者でしたが、母とは別に本妻がおりそちらにも家庭がありました。
    そのため母は愛人という立場で、時々父親は百恵さん親子の家に来ていたものの、母子の生活は貧しいものだったそうです。

    後に山口百恵・自叙伝「蒼い時」の中で明かしていますが、父親は母親の両親に会いに行った時には「きちんとする」と話していたようです。にもかかわらず、その後も本妻とは別れることがありませんでした。

    百恵さんが歌手になった理由について、この幼少期のことから「貧しい生活を脱して母を楽にするため」と言われることがあるようですが、このことについても自叙伝の中で触れており
    「(歌手に憧れたのは)幼い少女がおとぎ話のヒロインを夢見る、その程度の気持ちだった」
    と否定しています。

    百恵さんが歌手になったのは、貧しい家庭を助けるためという理由も全くなかったわけではないかもしれません。
    ですが、憧れの気持ちから歌手を目指したというのが大きな理由のようですね。

    山口百恵さんの有名な引退シーン

    有名なシーン

    百恵さんがステージにマイクを置こうとしている姿です。

    百恵さんといえば、引退前の1980年10月5日に行われた最後のコンサートで
    「私のわがまま、許してくれてありがとう。幸せになります」
    と言い、ステージの真ん中ににマイクを置いたパフォーマンスが有名で、このシーンは今でも語り継がれる有名なシーンとなっています。このパフォーマンスの後にステージを去っていき、これが歌手・山口百恵の最後の姿となりました。

    年内で卒業することを発表しているAKB48の渡辺麻友さんが、卒業前最後2017年11月22日に発売する新曲の中でセンターを務め、その曲の中でこのシーンをほうふつとさせる舞台上にマイクを置く振付があるようです。

    山口百恵さん「さよならの向こう側」

    この曲を歌い終えた後に、ステージにマイクを置いてステージを去った百恵さん。

    山口百恵 引退するまでの約7年間できれいになった理由

    まだあどけない印象が残る山口百恵さん

    芸能活動後期の写真

    山口百恵さんは、デビューしてから引退するまでの間に、どんどんきれいになって行きます。

    芸能界で活躍したのが、14歳から21歳という「少女」から「大人の女性」へと変化する年齢であったこともあるでしょう。

    彼女は、デビュー当時は「美少女」というよりも素朴な印象を受ける顔立ちをされています。

    しかし山口百恵さんが引退する21歳に近づくにつれてきれいで色っぽい印象すら受けるような女性になったのには、引退する理由とも繋がる「恋」という理由もあるのではないでしょうか。

    山口百恵さんが人気絶頂の中引退した理由

    山口百恵さんと三浦友和さんの結婚式

    百恵さんの幸せそうな笑顔が印象的ですね♡

    ドラマや映画など、女優としても出演作品が人気を博して活躍していた山口百恵さん。
    歌手として女優として人気絶頂の真っ只中にいた彼女は、21歳の時に引退を発表します。
    彼女が引退を決意した理由は、映画「伊豆の踊子」などで共演した俳優・三浦友和さんとの結婚でした。

    映画の他、ドラマやCMでも共演してともに人気を博した2人は『ゴールデンコンビ』と言われるようになります。
    そんな中で恋仲となった2人。
    1979年10月20日に行われた大阪でのリサイタルで、百恵さんが突然
    「私が好きな人は、三浦友和さんです。」
    と発表します。

    友和さんもその後に記者会見で
    「結婚を前提にして付き合っています。」
    と交際を認め、翌年1980年3月7日に婚約発表を行います。

    この時百恵さんは
    「お仕事は全面的に引退させて頂きます。」
    と話して引退することを発表。『歌手・山口百恵』から『三浦友和さんの妻・三浦百恵』として家族のために生きていきたいという決意が感じられますね。

    そして1980年10月5日、日本武道館で百恵さんのファイナルコンサートが行われ、そのコンサートで彼女はステージの真ん中にマイクを置いてステージを降りました。

    ファイナルコンサートの後、翌日には最後の音楽番組出演。「夜のヒットスタジオ」で引退特集番組が放送。
    百恵さんと親交のあった歌手仲間が最後の勇姿を見守り、この番組の司会者で百恵さんと親しい間柄でもあった芳村真理さんは
    「いつもはスタッフの怒号も飛び交い賑やかなスタジオであるはずが、この時はとても静かで感動的だった。」
    「番組の放送が終わった後もみんな去るのが辛く、VTRも回しっぱなしでお別れ会が続いた」
    とこの時の放送について語っています。

    最後の音楽番組出演1シーン

    またこの放送に出演していた歌手の一人である郷ひろみさんは、もちろんこの時ではありませんが既に百恵さんが友和さんと交際を始めていた時に、連絡先を書いた紙を百恵さんに渡したことがあるそうです。
    後にこのことについて郷さんは
    「まったく相手にされなかった」
    と語っています。

    多くの仲間に見守られて最後の音楽番組出演を終えた百恵さん。
    その数日後の10月15日に開かれたホリプロ20周年記念式典に出席した後に引退会見が行われてこれが生放送され、芸能人・山口百恵として最後のテレビ出演を終えます。
    この日をもって芸能界から引退となりました。

    山口百恵さんが引退後、表舞台に姿を見せていない理由

    百恵さんと友和さんが共演した1場面の写真

    三浦友和さんとの結婚を発表し、芸能界から引退した山口百恵さん。
    その後はほとんど表舞台に出ることなく生活しています。

    友和さんとの結婚後は2人の息子に恵まれ、現在長男・祐太朗さんは歌手、次男・貴大さんは俳優と両親の才能をそれぞれ受け継いで活躍してされています。
    百恵さんご自身は、主婦業の傍らキルト作家としても活動されているようです。

    友和さんと百恵さんは現在でも仲睦まじいご夫婦のようで、友和さんは
    「信じてもらえないかもしれないが、けんかをしたことがない」
    とテレビ番組で語っています。

    彼女は
    「結婚して、家族に我慢をさせたくない」
    という理由から引退して家庭に入り、その後も芸能界に復帰することなく37年が経ちました。
    その背景には、友和さんや息子さん2人というご家族との生活を大切にしたいという百恵さんの思いがあったようですね。

    しかし引退から37年経った今でも、名曲を紹介する様々な番組で取り上げられたりカラオケで歌われることも多い百恵さんの曲。このことから今でも、山口百恵さんの曲がいかに愛されていたのかを知る機会はとても多くあります。

    そして夫婦としては、理想の夫婦ランキングで毎年上位に挙げられる百恵さんと友和さん。
    これからもご家族の仲睦まじい様子を、友和さんや息子さんたちから聞くことができるのが楽しみですね♡

    引退後も歌い継がれる山口百恵さんの名曲の数々

    引退後はご家族との生活を大切にし、一般の主婦としての生活をされている山口百恵さん。

    百恵さんが芸能界に戻ってくることはもうないかもしれませんが、百恵さんが歌った名曲の数々はこれからも色褪せることなく、大切に歌い継がれていくことでしょう。

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