B'z稲葉浩志 50歳を超えてもかっこいい♡ すてきな髪型を紹介
pikamame
2017/10/30
長嶋茂雄さんは、1936年生まれの千葉出身の元プロ野球選手です。愛称はミスタージャイアンツ、ミスタープロ野球、ミスター等。立教大学から読売巨人軍に入団し、黄金時代の巨人の4番として活躍。3番の王貞治選手とのON砲として国民的人気を誇りました。
通算成績、2186試合出場、打率.305、本塁打444本。首位打者6回、本塁打王2回、打点王5回、MVP5回の殿堂入り選手です。監督としても巨人を率いて、優勝5回、日本一2回を達成しています。国民栄誉賞も受賞しました。
そんなミスターですが、性格は超のつく天然。勉強の方も、本人が出身学部は立教大学の野球部というだけあって、あまり得意ではなかったようです。それらが相まって、グランド内外で数々の伝説を残しています。そのいくつかを紹介します。
長嶋茂雄さんは、英語が得意なのか不得意なのか、日本語と英語が不自然に混じった、あるいは不自然に英語に置き換えた言葉を話します。
「失敗は成功のマザー」「鯖は魚へんにブルー」は、伝説の不思議英語です。
また、学校の試験で、「I Iive in TOKYOを過去形にしろ」という問題が出題され、「I live in EDO」と答えたという、真偽不明の伝説も残っています。
ただ、アメリカキャンプの際、「こっちの子は英語がうまい」、「すごいねぇ、外車ばっかり走ってる」と言った、という伝説が残っているあたり、長嶋茂雄さんには日本と外国を人とは違う視点で見ていたのかもしれません。
また、長嶋茂雄さんは、英語ばかりか日本語の使用法に関しても、不思議な感性をもっていて、伝説的語録を生み出しました。
還暦の挨拶では、「はじめての還暦を迎えまして、ましてや年男ということもありまして」、と発言しました。2回目の還暦を迎えられるのでしょうか。
新人として入団した定岡正二選手に対して、「洋服を着るのは初めてか?」「うれしいか?洋服着て」、と謎のメッセージを送りました。
妻とのデートを報道陣に追い回されたとき、「いいかげんにしてよ。僕にだってデモクラシーがあるんだ」、と報道陣を一括しました。惜しい。
さらに、「今年初めての開幕戦」「ウェルカムで歓迎」「疲労からくる疲れ」と、意味がわかるようなわからないような語録も伝説として残しています。
長嶋茂雄さんの指導法は独特です。
野球少年へのバッティング指導は「腰を―ダッ―ダッ―」。
監督時代の選手への指導は「球がこうスッと来るだろ」「そこをグゥーッと構えて腰をガッとする」「あとはバァッといってガーンと打つんだ」。
五輪の日本代表監督として、代表選手へバッティング指導した際は「ピシっとして、パーンと打つ」。
アメリカ人への指導は「ノーンストロング!!ブン!ブォン」
誰に対しても、真剣に指導する姿には頭が下がりますが、指導を受けた人は、はたしてその意味を理解できたのでしょうか。
長嶋茂雄さんは監督としても、その天然さを発揮しています。
ある試合で、バントの世界記録を持つ、元巨人の川相昌弘選手を代打に送る際、両手でバントの構えをしながら、審判に代打を告げました。「代打、川井」。
相手チームに作戦がバレバレの中、それでも、川井選手はサイン通りにキッチリバントを決めました。
長嶋茂雄さんといえば、「セコム、してますか?」のフレーズでおなじみの警備会社セコムのCMが有名です。長年セコムのCMキャラクターをつとめ、巨人の本拠地である東京ドームにも、長嶋茂雄さんの巨大看板がありました。
しかし、その長嶋茂雄さん、なんと自宅に泥棒が侵入してしまいました。セコムはいったい何をしていたんでしょうか。セコムが泥棒を防げなかった理由、それは、長嶋茂雄さんが「来客が多いので、セコムを切っていた」、からでした。
長嶋茂雄さんは、自分の試合を見せるため、子供だった息子の長嶋一茂さんを球場に連れてきました。しかし、その日は極度の不調。試合が終わってもイライラして、急いで家に帰ったそうです。一茂を球場に残したまま。家に帰って、球団職員から連絡があるまで一茂のことは忘れていたそうです。
長嶋茂雄さんは、日本シリーズでMVPを4回獲得しています。これはプロ野球史上最多です。長嶋茂雄さんはとにかく大舞台に強く、記憶より記憶に残る選手と言われていました。
もっとも有名な伝説が、天覧試合でのホームランです。史上初めて天皇皇后両陛下が観戦なされた試合で、同点で迎えた9回裏、長嶋茂雄さんは見事サヨナラホームランを放ちました。究極の大舞台での一振りは、まさに伝説のお祭り男の真骨頂です。
いまだに人気の衰えないミスタープロ野球こと長嶋茂雄さん。彼が残してきた数々の長嶋茂雄伝説、みなさんいくつご存知でしたか。
Copyright© 運営事務局