羽生結弦のフギュアスケートの出会いから専属コーチ、ブライアン・オーサー氏との出会いまで

名前:羽生結弦(はにゅう ゆづる)
生年月日:1994年12月7日
身長:171cm
体重:53kg
血液型:B型
出身地:宮城県仙台市

4歳の頃に4歳年上の姉の影響でフィギュアスケートを始める。
10歳の頃に阿部奈々美氏をコーチに迎え、その頃よりさまざまな3回転ジャンプを習得する。
また、カナダに渡る前までの13歳ころにトリプルアクセルの練習を開始し、JGPシリーズや全日本・世界ジュニア選手権で数回の優勝を経験している。
15歳ころには4回転トウループの練習も開始している。
17歳の頃に選手時代「ミスタートリプルアクセル」と呼ばれたブライアン・オーサー氏に師事するため、カナダ・トロントにある名門スケートクラブ、クリケットクラブへ移籍する。

羽生結弦、SP歴代最高得点獲得

前日のショートに引き続き、フリーでも120%を出し切り、終盤ではフラフラになっていたと。
終盤では最後のジャンプなどで何度か転倒するが、堂々のSP歴代最高得点を打ち出した。
「最後は自分が情けなさ過ぎて、笑っちゃいました(笑)。疲れてしまって、もう身体が動かなかった」とのことで、スタミナ不足は次回のオリンピックまでの課題。最初から最後までどれだけ安定した演技が出来るかが、常に金メダルを獲得できる選手になるための別れ道になるだろう。

専属コーチ、ブライアン・オーサー自身をも魅了する羽生結弦の魅力とは

羽生結弦には天性とも言われる魅力が感じられる。フィギュアスケートで演技している姿をみて、しなやかな体格から表現される力強い演技は、その世界に引き込まれてしまいそうにもなる。一体どのようにして、現在のような魅了的なフィギュアスケーターへと成長を成し遂げたのだろうか?専属コーチのブライアン・オーサー氏も魅了される理由について次のように答えている。

才能、技術、ルックス……その答えには様々な要素があげられますが、私は彼のスピリットこそが一番の理由だと思います。
ユヅル(羽生)は、スケートが大好きなんです。その情熱には、コーチの私ですら魅了される。私は現役を引退して17年になりますが、私も彼と同じようにスケートを愛し、懸命に練習に取り組んでいた。ユヅルの演技は、その頃の自分を思い出させてくれるんです。

出典:http://gendai.ismedia.jp

「好きこそ物の上手なれ」ということわざがあるように、好きだからこそ常に自分自信を超える努力を惜しまない姿勢が今に至っているのかも知れない。他のフィギュアスケートの選手の中でも嫌々している選手はいないだろう。みんな好きでやっているはず。羽生結弦は専属コーチを魅了させてしまう程にその他の選手の情熱でさえも超越してしまっているに違いない。

ユヅルには元々豊かな才能があり、日本でそれを育んだ上で私のところへやって来た。確かに、ユヅルの4回転ジャンプの成功率が上がったのは、私が指導するようになってからですが、すでにトップスケーターとしての素養は持っていたのです。
日本のコーチ、トレーナー、そして家族、様々な人々のサポートによって、現在のユヅルは存在している。私の役割は、彼が才能を開花させられる環境を整えたことに尽きます。

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羽生結弦の今があるのも彼を取り巻く周囲の人々の存在があったからということなんですね。彼の強すぎる程の情熱と周囲の人々達の応援や協力、期待が上手いように化学反応を起こして、良い結果に結びつき、それが多くの人々を魅了してやまない魅力を生み出しているのだろう。

専属コーチ、ブライアン・オーサーとの出会いは羽生結弦本人からのオファーだった

ユヅルからオファーが届いた日のことは、よく覚えています。'12年の世界選手権の後のことでした。

ユヅルから「会いたい」と連絡が来たときは、正直驚きましたね。

彼は当時、17歳という若さでしたが、すでにトップスケーターの一人でした。そして私は、現在もユヅルと共に指導しているハビエル・フェルナンデスというスペイン選手のコーチを務めていた。

トップスケーターが、オリンピックを2年後に控えた時期に、ライバルのコーチへオファーを出すということは、ほとんどありえません。対抗心によって自身の練習に集中できない、マンツーマンの場合のようなきめ細やかな指導が受けられない、と考えるものですからね。

そこで私は、本心を聞くため、すぐにカナダから日本へ発ち、ユヅルに会いました。内気な少年、というのが第一印象でしたね。

私は、「なぜオファーを出したんだい?」と聞いた。すると彼は、「僕はトロントへ行ってブライアンと練習したい」とひと言。拙い英語でしたが、それで十分でした。その言葉だけで、彼の情熱が伝わってきたんです。後に詳しく聞いたところ、彼は4回転が得意なハビエルを見て、私の指導に秘密があると考えたみたいですね。

その後、ユヅルが私のもとへやってきたのは、'12年の5月です。私たちはすぐに、トロントにあるホームリンクで、動きや滑りを試しました。とても刺激的な時間でした。

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専属コーチ、ブライアン・オーサー氏が見た羽生結弦の最初の滑りの印象

初めて見たときの印象は、とても才能があるが自分をコントロールできていない、というものです。ステップやつなぎでミスをする甘さがあった。悪く言えば雑、よく言えばワイルドでしたね。

それでも私は、前述のとおり、彼のスピリットに心を打たれた。ユヅルはスケートに情熱を持っていて、滑ってジャンプすることが大好きなんだと、ひと目でわかりましたよ。

私は、マンツーマンでつきっきりで指導するということはしません。振り付け、スケーティング、ジャンプなど、それぞれに長けたコーチたちと一緒に、「チーム・ブライアン」を組んで、細かな指導は各分野のスペシャリストに任せているのです。もちろん私が直接指導にあたる場面も多々ありますが、あくまで私はチームの指揮をとり、責任を取る存在に過ぎません。

そのチーム・ブライアンでは、新しい選手が来た場合、必ず基礎トレーニングから始めます。ユヅルのようなトップスケーターでも、それは例外ではない。

彼は面食らったかもしれません。オリンピックまで2年しかないなか、ジャンプを教えてもらおうと思ってはるばるやって来たのに、基礎的な指導が始まったわけですからね。

それでも、ユヅルにはそれが必要でした。というのも、彼はスケーティングが未熟で、それが体力のロスにつながっていたからです。ユヅルはひとつのジャンプが終わると、蹴って蹴って、漕いで漕いで、次のジャンプをしていました。動きがぎこちないために、バランスが崩れ、その分ジャンプやスピンに移る際に、余分な力が加わってしまっていたんです。

ただ、基礎トレーニングの重要性を伝えると、「僕はこの反復練習をします。時間をかけて取り組みます」とすぐに納得してくれた。そういう素直なところも、ユヅルの美徳ですね。

我々のもとで卓抜したスケーティングを身につけた後は、スイスイと移動し、スムーズにジャンプできるようになりました。喘息持ちで、スタミナに課題があったユヅルはこうして、ムダな筋力トレーニングや有酸素運動をすることなく、プログラムをやり通せるようになったのです。

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このように、基礎トレーニングに対する重要性をしっかり理解し、素直に取り組んでいくことで、技術面に磨きがかかり、そうすることで精神面も強くなり、どんな大舞台に立っても動じないいつでもベストな状態で大会に望める、そのようなフィギュアしケーターへと成長したのです。それが、ジャンプ成功率の上昇へつながったののでしょう。

羽生結弦の精神面の成長に一躍買った専属コーチ、ブライアン・オーサーが語るライバル的存在

精神面での成長といえば、チームメイトのハビエルの存在も大きかったかもしれません。

ハビエルは'13年と'14年の世界選手権で3位に入ったトップ選手ですが、ユヅルとは正反対の性格です。

ユヅルはすべてに全力を尽くすタイプ。納得のいくまで練習をし続け、さほど重要ではない大会でも、すべて勝ちにいく。これは非常に日本人的な精神で、みなさんがユヅルを応援したくなる理由の一つだと思いますが、ときには力を抜くこともプロの世界では必要です。

その点、ハビエルは才能豊かですが、スペイン人らしく非常にマイペース。気分が乗らなければほとんど練習しませんし、転んでもさほど気にしません。

そんなハビエルと共に練習することで、ユヅルの心にゆとりが生まれました。タイプのまったく違うライバルが同じチームにいることで、良い方向に化学反応が起きたんです。

元々あった才能に、私のもとで技術と精神力が加わった。そうしてユヅルは、今年2月のソチオリンピックで、金メダルを獲得できたのです。

ユヅルはオリンピック・チャンピオンになったことで、さらに成長したと思います。

彼はいまや、世界のフィギュアスケート界を牽引していく存在になった。ユヅル自身にも、その自覚があります。だからこそ11月のNHK杯にも、出場を決意しました。

NHK杯は、直前の中国大会で怪我を負い、コンディションが整わない中での出場でした。トレーニングはしていましたが、「勝つため」ではなく、「回復させる」ためのものでしかありませんでした。

私は「NHK杯には出なくてもいい」と主張しましたが、彼は「絶対に出る」と譲らなかった。その決意を、私には止めることはできなかった。オリンピック・チャンピオンとしてのプライド、より進化したいという情熱があったのでしょう。17歳だった少年は20歳になり、たくましい男性に成長したのです。

ですから、4位という結果は、悲観すべきものではありませんし、12日から始まるグランプリ・ファイナルでは、みなさんが期待しているとおりの演技をできるはずです。怪我は癒えましたし、現在、トレーニング・スケジュールもきっちりこなしていますからね。

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羽生結弦と専属コーチ、ブライアン・オーサーの次回の目標は、言うまでもなく次回の平昌オリンピックでの金メダルである。コーチは「それまでに出場する大会であまり良い結果が出せなかったとしてもそれは、オリンピックまでの進化の過程であることを理解して欲しい」と言っている。オリンピックまで、まだ3年。羽生結弦が、この3年間でどれほどの進化を遂げるのか楽しみである。

専属コーチ、ブライアン・オーサーが語る羽生結弦のこれからの課題

もちろん、まだまだ課題はあります。そのひとつはスタミナ面の向上です。ソチのときは時間がなく、基礎体力を上げるトレーニングができませんでしたが、平昌までは余裕がある。すでにユヅル用の特別プログラムを組み、過酷なトレーニングに取り組んでもらっています。

大人になってきたことに伴う、肉体的な変化にも注意が必要でしょう。彼は細く強いパーフェクトな身体を持っていますが、そこに筋肉がついてくると、バランスの取り方が変わってくる。さほど難しくはありませんが、変化の過程でユヅルが戸惑わないよう、サポートしていくつもりです。

また、彼は「ノー」と言うことも覚えないといけませんね。ソチの金メダルの後、多くの人がユヅルと関わりあいを持とうとし、優しい彼はそのすべてに対応しようとした。ときにそれは、トレーニングに支障をきたすほどでした。平昌オリンピックで勝ちたいのなら、ときには「ノー」と言って、自分の時間を大切にしなければなりません。

英語ももっと上達してほしい。彼は「Yeah」(同意を意味する返事)が口癖なんですが、これを言うときはだいたい理解できていないときです。「Yeah」と言ったときは、いつも説明する前と同じミスをしていますからね。だから最近は、ユヅルが「Yeah」と言ったら、「こっちにこい。話し合おう」と言うようにしています(笑)。そのかいあってか、ユヅルの英語力は日に日に上達していますね。

課題はありますが、ユヅルの今後に心配はしていません。オリンピック・チャンピオンになると、モチベーションを失ってしまう選手も多いですが、彼はまったくそうではありませんから。バンクーバーで金メダルを獲った後のキム・ヨナは、明らかに義務的に滑っていました。スケートを楽しんでいる様子は、まったくありませんでした。一方、羽生はまだまだスケートへの情熱があり、向上心があり、謙虚です。NHK杯後の、「悔しい」というコメント。あれこそが、ユヅルの人間性を象徴している。

ユヅルにはスターであることを楽しんでもらいたい。そして、再び金メダルを獲ってほしい。ユヅルならそれができますし、私はそのための手助けを全身全霊でやっていきますよ。

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歴代最高得点をマークしたフィギュアスケート選手に成長したとしても尚、進化の途中だという専属コーチ、ブライアン・オーサー氏。羽生結弦本人も今の自分に甘んじることなく、常に謙虚に大きな目標を持って毎日トレーニングに励んでいる。次回のオリンピックにかけて、周囲の期待も大きくなり、それが本人の大きなプレッシャーになることも考えられるが、おそらく、その頃にはそんなプレッシャーをも跳ね除ける程の選手になっているに違いない。これからの羽生結弦の進化の過程において一体どこまで大きく進化していくのか、期待しながら共に見守っていこう。

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