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樹木希林と東京タワー、みんなのお母さんのようなあたたかい演技!

樹木希林さん演じる、東京タワーのオカンは我が子を想い、心に染みるような優しさと内面から溢れる芯の強さを感じます。樹木希林さんの唯一無二の味わい深い演技に引き込まれます。東京タワーの樹木希林さんのオカンの姿必見です。あたたかくておもしろい映画、東京タワーの世界へ

東京タワーという作品に深みを与える女優、樹木希林のプロフィール

樹木希林
本名:内田啓子(旧姓:中谷啓子)
旧芸名:悠木千帆(ゆうきちほ)
生年月日:1943年1月15日(72歳)
血液型:A型
星座:やぎ座
身長:159cm
出身地:東京都千代田区
家族(芸能人)
内田裕也(夫)=ロック歌手
内田也哉子(娘)=エッセイスト 本木雅弘(義理の息子)=俳優 内田伽羅(孫)=女優
趣味:車の運転
愛車はかわいいものばかり(役者は顔が命ではないが、車は顔が命だという)
ボルボ・アマゾン シトロエン・Hトラック トヨタ・オリジン など
苦手なこと:人から物を貰うこと
親友:浅田美代子(43年の付き合い)
《エピソード》
・フグは割り勘で割り勘で食べるらしい。(吉永小百合にはおごってもらうつもりらしい。)
・バリ島に一緒に旅行に行った時は、本木雅弘にマイレージをもらい、西城秀樹の部屋に泊まったという。ビジネスクラスで往復7万円だったという。やりくりするくらいがちょうどよいので、安く、うまく仕切るという。
・浅田美代子には、自分が体験した人生の節目のちょっと良い話を覚えていてほしいと思っているのだとか。
    

東京タワーでは末期がんになってしまう役だったが、実際に樹木希林は2004年から、がんの治療を受けていた。

樹木希林さんは2004年に初めてがんを宣告された際は、死を覚悟し、身の回りの整理までしたといいます。

「がんは死ぬことを覚悟しなくてはいけない病気だと思っていたんです。身辺整理から何から、全部やりました。がんになって、何か人生が変わった気がします」

初めのうちは、「がん=死」と捉え、治療に関しても、どこか医者に身を委ねるようなかんじでしたが、次第にがんに対する考えが変わっていくのが、その時々の発言から見て取れます。

その後、がんに関して、勉強をしだしたといいます。そして知識を深めていくと、がんを自分が治すんだという、心構えに変化していきました。

「自分に合う医者や治療法、本などを、本気で探すことが大事。自分を知る勉強だと思います。」

「自分の体のことですから、少し医者を疑うくらいの気持ちで良い治療法を探すことが大切。良い医者に出会う、というよりもその医者の良い部分をキャッチできるかがカギだと思います。」

そして、全身にがんが移転したことを知ったのちに、樹木希林さんが選んだ治療は放射線治療でした。

樹木希林さんが、がんを克服した治療法は、放射線治療でした。放射線治療にもいろいろとあるのですが、その中で樹木希林さんが選んだのは、従来X線による放射線の『四次元ピンポイント照射療法』というものでした。


そうして放射線を照射する場所に関しても、医者任せではなく、樹木希林自身が医者に対して、「ここから、ここまで」と命令したといいます。

 そして、自分のがんがどういうものかを知ったうえで、それにあった治療法を自ら選択する。選択した治療法に関しても、決して医師任せにせず、逆に医師に治療の仕方を命令する。

 つまり、自分が自分に自分で責任をもつ、それが、樹木希林さんが癌を克服した秘訣だったのでしょう。

「個々のがんの質が違うからね。人はがんと向き合って自分を知るということじゃないかと思うんです。それがわからなくては、いっくら良い治療法があっても、それはただただ一過性のものになるだろうと」

「私の考えでは、がんで死ぬっていちばんいいと思うんです。用意ができるじゃないですか。それぐらいの感じで生きています」

「がんは有難い病気よ。周囲の相手が自分と真剣に向き合ってくれますから。」

「がんに感謝よね。経験してなければろくに『死』にも向き合わず、主人の 内田(裕也)さんのこともちゃんと理解しようと思わなかったかもしれないし」
と語っていました。

そして、 樹木希林さんは2014年の1月に記者会見で、がんの治療終了を報告し、多くの関係者を驚かせました。

一年前に、全身にがんが転移していることを、激白したからです。樹木希林さんは「元気というか、普通なんです」と、別段、がんの影響はないこと付け加えました。

 これは決してがんが治ったという宣言ではありません。あくまでも治療がいったん終了したということであり、本人いわく「大きく体に影響を与えているものは消滅したみたい」ということのようです。 

出典:http://kenkou.xyz

冷静に状況を受け止めて、自ら進んで自分の体に起こっていること調べ、自分で治すという考えに至り、治療法も自分で決め、治療のやり方も医師に伝えるとは、さすが樹木希林さんだと思いました。
東京タワーの公開は2007年ですから、撮影時はがんの治療をしていることになります。
樹木希林さんはマネージャーを雇わずに、ご自分で自宅の電話とFAXで仕事の管理をしているそうです。
ですから初めから、映画「東京タワー」のオカンが、結果的に末期がんになってしまうという役と知った上で、自ら出演すると決めたということになります。
今の自分ならこの役の気持ちが痛いほど分かると思って出演を決めたのでしょうか?
実際にがんを患い、治療に励みながら、末期がんになってしまう役を演じようと思える、樹木希林さんの女優魂に驚きと感動です。

『UMSオンコロジークリニック』

  〒892-0841 鹿児島市照国町 13-37-4F

『UMSオンコロジークリニック』

《四次元ピンポイント照射》

放射線を照射しても死滅しないがん細胞を、さらに追跡して照射することのできる治療法を確立したのです。


樹木希林さんが癌を克服した治療法は、放射線治療でした。放射線治療にもいろいろとあるのですが、その中で樹木希林さんが選んだのは、従来X線による放射線の『四次元ピンポイント照射療法』というものでした。

鹿児島県のさらに鹿児島空港から車で約40分の所にある、UMSオンコロジークリニックというところにあるものです。

この四次元ピンポイント照射療法とは、UMSオンコロジークリニックの医師である植松稔先生が開発したもので、世界に一台しかないのです。

出典:http://kenkou.xyz

医師のでありながら、世界に1つしかない高度な放射線の治療機器まで作ってしまうなんて
植松 稔先生のがんの患者さんを救いたいという医師としての強い使命感を感じます。

樹木希林の味わいのある演技が魅力の東京タワーの作品紹介とおもしろ見所ポイント!

和気合い合いとした和やかな雰囲気をこの画像からでも感じることができますね。
オダギリジョーさんの腕に手をまわした樹木希林さんの姿が本当のオカンのようです。

大都会、東京の中心に57年間もの長い間立ち続けている東京タワー。
夜のライトアップされた東京タワーも素敵ですが、昼間のそのままの東京タワーは堂々とした貫禄すら感じます。

「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」  

                 2007(平成19)年4月15日鑑賞<梅田ピカデリー>

監督:松岡錠司
原作:リリー・フランキー『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』(扶桑社刊)
ボク(現在)/オダギリジョー
オカン(現在)/樹木希林
オカン(若い頃)/内田也哉子
ミズエ(ボクの彼女)/松たか子
オトン/小林薫
タマミ/伊藤歩
平栗(ボクの友人)/勝地涼
磯山/平山広行
ブーブおばさん/猫背椿
松竹配給・2007年・日本映画
 

<本格的な母娘共演に拍手!>
 樹木希林は超演技派のベテラン女優だが、内田也哉子は何とこの映画が初出演とのこと。さすがカエルの子はカエル

<ワンシーンだけのカメオ出演者がすごい!>
この映画にはアッと驚く俳優たちが、ワンシーンだけながら数多く出演している。なぜそんなちょっとした端役にそんな有名俳優を、と思うのだが、これはもちろん松岡錠司監督が意識してやったもの。少し紹介すると、それは①ラジオ局のディレクターの仲村トオル、②アイドルDJの宮﨑あおい、③不動産屋の事務員の小泉今日子、④笹塚の診療所の医者の柄本明、⑤中目黒の大家の松田美由紀等々。

出典:http://www.sakawa-lawoffice.gr.jp

これから映画、東京タワーを観てみようという方も、また観てみようという方も、
ここに注目してみると、もっとこの映画を楽しめるのではないかと思います。
親子の愛はもちろん、おかしな夫婦関係、個性な友人たちなど、人間のふれあいの感動と人間のおもしろさのコメディの両方を見事に合わせた映画だと思います。

では、映画、東京タワーの世界をもっと紹介していきますのでどうぞ・・・

『東京タワー~オカンとボクと、時々、オトン~』を画像と共に紹介していきます

幼少期から東京で仕事が軌道にのるまでのリリー・フランキーとオカンの日々

九州の小倉で生まれた〈ボク〉は、オトンの実家で暮らしていたんですが、何があったかはよく分からないまま、4歳の時にオカンに連れられて家を出ることになりました。

親戚の所に身を寄せたりもするんですが、結局、筑豊の小さな炭鉱町にあるオカンの実家に戻ることとなります。

オトンとオカンは離婚したわけではなく、夏休みになると〈ボク〉は小倉に遊びに行かされたりしますし、立ち消えになったものの、中学生の時に小倉でオトンと一緒に住むという話が出たりもしました。

出典:http://ameblo.jp

いつものように夜中に酔って帰ったオトンがやらかすんです。まーひどい!!んです。
これに堪忍袋の緒を切らしたオカン4歳のはボクを連れオカンの実家に戻るのです。
この画像のオカンとボクが、真っ直ぐな線路を手を繋いで歩くところが、何とも言えない、良い場面です。
大人のなったボクが、この時を思い出す場面が後半にあるのですが、胸に迫るものがあります。
オトンは一般的にみると良いオトンではないですが、ボクのことをかわいいと思っているのが分かります。
休みになるとオトンの家で過ごしたり、たまにはオトンらしいことをしてくれたりと、憎めない愛らしさのある少年のまま大人になったような人です。

中学卒業後に高校の寮に住むためにオカンと離れ離れになってしまう、この画像の場面も感動的なので、要チェックです。
電車の中でオカンの手紙を読むところがオカンの手作りのお弁当も相まってとてもいいんです。

 ボクはまだなにもなかった。受験に関しても就職に対しても、将来の目標も夢も。ただ、確実に決めていることは、ひとつだけあった。
「なにをするにしても、決めとることはあるんやけど・・・・・・」
「おう。なんか? 言うてみい」
 オトンは身体をボクの方に向けて目を見た。
「東京に行きたい」(152ページ)
ステーキハウスを出た後、〈ボク〉はママやホステスのいるクラブに数軒連れて行かれます。オカマのママに会ったりもします。
オトンはこう言います。「色んな奴がおるやろう。色んな国の人もおる。色んな考え方のもんもおるよ。東京に行け。東京に行ったら、もっと色んな人間がおるぞ。それを見て来い」(156ページ)

出典:http://ameblo.jp

オトンのオトンらしいところ大爆発と言ってもいいほどTHEオトンしてます!
こういうところがオトンの良いところですよね。一般的な父親とは違う考えがプラスに働いている。
さすが!オトン!
リリー・フランキーさんが様々な分野で活躍しているのは、感受性の強い子供の頃にこのようなディープな大人の世界に接し、広い考え方を持てたからという可能性が高そうですね。

 オトンの人生は大きく見えるけど、オカンの人生は十八のボクから見ても、小さく見えてしまう。それは、ボクに自分の人生を切り分けてくれたからなのだ。(166ページ)

出典:http://ameblo.jp

この言葉染みませんか?
息子からみたら小さく見えるオカンの人生でも、オカンからしたら、最愛の息子のために生きる人生は何者にも変え難い特別なものなのだと思います。
母親という職業があるのなら、1番尊く偉大な職業だと思います。

東京での大学生活もなかなか大変なんですが、何よりも働き出してからが大変です。働くといってもフリーでイラストを書いたり、文章を書いたりするわけですから、普通に就職するのとはまるで違います。

出典:http://ameblo.jp

大学生活の堕落加減の描かれ方がまたいい味出してるんですよ。あきれるほどだらしない・・・
オカンがセッセと働いた仕送りはギャンブルに使ってしまい、大学にもろくに行かないので、留年してしまうんです。
ボクが留年のことをオカンに伝えた時のオカンの言葉がいいんです。「なんでがんばれなかったとかね・・・」
怒るでもなく、嘆くでもなく、しみじみ言うんですよ。
この場面の樹木希林さんの味わいのある演技は、映画を観てのお楽しみです。

そんな中、オカンに病気が見つかります。その病気のこともありますし、親戚の家では色々と気兼ねがあるので、オカンがどこかに引っ越そうとしていると知って、〈ボク〉は電話で思わずこう言います。

出典:http://ameblo.jp

オカンはがんになったことをボクに隠し、手術をし入院していることを居酒屋の一緒にやっているおばさんから聞くことになるんです。
心配かけまいと、樹木希林さんのあえて明るく演じる姿が切ないです。
東京でがんばっている息子に心配をかけまいとする、母の気遣いですね。息子を想う母の愛に胸を打たれます。

「オカン・・・・・・」
「なんね?」
「東京に来るね?」
「あぁ・・・・・・?」
「東京で、一緒に住もうか?」(246ページ)

出典:http://ameblo.jp

この場面のやりとりが前半のクライマックスだと思います。
さりげない中にも、オカンとボクがお互いを思いやっている様子をひしひしと感じられる心温まる見所です。

がんになってしまったオカンと東京で、15年ぶりに一緒に暮らし始めてからの日々

オカンが筑豊から電車を乗り継いで、遥々東京までやってきて親子が再会する場面です。
オカンのよそ行きのめかし込んだ服装が、オカンにとっても東京が特別な場所ということが伝わってきます。
オカンのうれしそうな表情や久しぶりの再会に照れているような2人のやり取りに観ていてもはにかんでしまいそうです。
この後、車の中から夜のライトアップされた東京タワーを見つめ、いつか、オカンとボクとボクの彼女のミズエの3人で東京タワーの展望台に登ろうと約束するのです。

荷物が届き、ダンボールを開けるとオカン特性のぬかどこが出てくるのです。
懐かしいオカンのぬか漬けが食べられるうれしさと、これからは自分がオカンを守っていくんだというボク。
うれしそうな息子を見ながら、15年の時を経てこれから、また一緒に暮らせる、おいしい食事をまたたくさん食べさせてあげられる喜びを感じるオカン。
そんな2人の姿が微笑ましい場面です。

オカンのあたたかくユーモア溢れる人柄とオカンのおいしい料理に魅了され、ボク(雅也)の友達は毎日のようにオカンの料理を食べに訪れ、オカンはすぐに人気者になるのです。
そして、みんなが集まるとオカンが若い頃からみんなを笑わせていた得意な芸を見せるのです。
これぞ樹木希林さんというコミカルでいて可愛らしさも感じるものです。
どんな姿か伝えたい気持ちをぐっとこらえて、ここまでの説明にしておきます。
映画をまだ観ていない方は、DVDを借りて観ることをオススメします。
後悔しませんよ。きっと。

割烹着姿の樹木希林さん、日本の古き良きお母さんの姿そのものですね。
ボクとオカンはウサギを2羽飼うのですが、黒いウサギが『ぶどう』白いウサギが『パン』
2羽の名前を合わせると『ぶどうパン』です。おもしろいですね。
このウサギにはドラマがあるんです。
小さい頃のボクとオカンが寝ている場面の枕元に「しろいうさぎとくろいうさぎ」の絵本があるようなんです!
ピントがあっておらず、2秒ほどしか映らないようなのでDVDで巻き戻したり、早送りしたり停止したりして探して見るのも楽しそうですね。
私は気付けなかったので、もう1度観て探してみたいと思っています。
なぜウサギを飼うことにしたのかは映画では説明されていないのですが、
きっと、子供のころにオカンと一緒に読んだ絵本を覚えていて、
再び一緒に暮らせるようになった記念というのと、
ボクが仕事で家に居ることが少ないため、オカンが寂しい想いをしないようにというボクの優しさを感じます。

東京に来て7年、落ち着いていたオカンの体調に変化が表れ、検査をしたところ、がんが再発しまいます。
東京でのオカンとの生活に慣れオカンとの会話も少なくなっていき、体調の変化に気付けなかった自分を責めるボク。
入院するため、病院に向かう道中、横断歩道を渡る際、《ボクはオカンの手をそっと取ります。》
オカンと手を繋ぐのは何十年ぶりのことです。
「オカンが守ってくれていたから、ボクはここまで来れた。」
「これからは、ボクがオカンを守るよ。」というボクの言葉が聞こえるような
親子の愛と年月の重みを感じる場面です。

この画像には映っていませんが、左上に見える窓からは東京タワーが大きく良く見えるのです。
元気で明るくみんなの人気者のオカンが1人静かに病室のベッドに横になっている姿は、賑やかに過ごしていた頃が懐かしく思える、切なさの募る場面です。
病室から、1人東京タワーを見ているオカンはどんな気持ちなんでしょうね。。

オトンがお見舞いに来るというので、めかし込んだオカンの姿です。
何十年も別居しているとはいえ、オカンはオトンのことを愛しているんだんだなぁ~と微笑ましくなる場面です。
樹木希林さんのこの表情、何とも言えないですよね。いいな~!!

この画像は、オダギリ・ジョーさんがオカンの病室で仕事をしている時の表情です。
どことなく、リリー・フランキーさんににていませんか?
個人的には、ベストな配役だと思います。
ボクが仕事をしていると、体調が良いとオカンがボクに話します。
母心ですかね~。息子が活躍してくれていることが嬉しいんでしょうね。
後に、「オカンの財産は?」
という話しになるんですけど、その時のオカン台詞がまたいいんです!
映画を観たいと思っている方もいると思うので、ここには書きません。あしからず・・・
余談ですが、オダギリ・ジョーさんがピンクの衣装を着ていることが多いのですが、上下ともピンクの時もあって、林家ぺーさん!に見えなくも無いんです・・・
この時代のリリー・フランキーさんはピンクが好きだったんですかね?

オカンのお見舞いに来るたびに何だかオトンがしっかり者になっていくような気がするんです。
オトンがお見舞いに初めて来た時は、いきなり2人きりなり、久しぶり過ぎて慣れないせいかオカンとオトンがオドオドするんです。可愛らしいです。
手持ち無沙汰からか、病院の売店でオトンがオカンのためにたくさん買い物をするのですが、
そのやりとりが遠い昔の2人を見ているようで、あたたかいようなせつないような気持ちになりました。

オカンが、とうとう、厳しいとなった時に男2人で話す場面です。
この2人にはオカンがいなきゃダメなんだという物悲しさが漂います。
でもやっぱりオトンなんですね。
オカンの葬儀でボクが泣いてしまい喪主の挨拶が出来ないんです。
するとオトンが噛み締めるように、オカンへの想いを語る場面が胸に染みます。。
何だかんだ言ってもやるときはやるのが、このオトンの魅力だと思いました。

樹木希林と『東京タワー~オカンとボクと、時々オトン~』のまとめ

皆さんは東京タワーにどのような思い出がありますか?
見る人それぞれの東京タワーの姿。
かっこよく見える時も、綺麗に見える時も、切なく見える時も、無機質な素材そのものに見える時もいろいろあると思います。
樹木希林さんの出演する東京タワーのエピソード、いかがでしたか?
まだまだ、たくさんの見所がありますので、この記事を読んで興味を持ってくれた方もまた観ようと思ってくれた方もどうぞ映画、東京タワーを楽しんでくださいね。
ご自身の東京タワーの思い出も含めて、この映画に登場する人々の東京タワーへの想いも感じながら観ていだだけると、この東京タワーという映画をより深く感じられるのではないかと思います。
「親子、友達、恋人、職場の人との関係」、オカンの実家や東京での生活などが事細かに描かれているので、
『東京タワー~オカンとボクと、時々オトン~』は世代や性別を超えて誰もが楽しめる映画なのではないかと思います。
樹木希林さんには、これからもたくさんの作品に出演していただき、私たちに感動や笑いを届け続けてほしいですね。

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