ローラの父親逮捕!ローラの人生は父親に翻弄されてばかりだった!
naonao
2015/11/29
ローラ・モンテスとはどのような人物なのでしょうか!?
これがローラ・モンテスの画像。
かなりの美人ですね。
エリザベス・ロザンナ・ギルバート(Elizabeth Rossanna Gilbert, 1821年2月17日 - 1861年1月17日)は、芸名のローラ・モンテス(Lola Montez)で知られたダンサー・俳優。
ローラ・モンテスはダンサーとして世界中を渡り歩きました。
母エリザ・オリヴァー(またはイライザ)はリムリックの郷士の庶子で、娘エリザベスを15歳で生み、その後エリザベスの父親であるイギリス軍士官エドワード・ギルバートと結婚した。1823年にエドワードはインド勤務となったが、まもなくしてコレラで急死。エリザはその年のうちにクレイギーという士官と再婚し、娘を連れてスコットランドへ渡った。
ローラ・モンテスの母は再婚を繰り返していました。
これが、娘に受け継がれたのでしょうか。
そして、美しく成長したローラ・モンテスの人生は・・・!?
ローラモンテスは、イギリスにてある軍人と出会いますが・・・。
「エリザベス」とは、ローラ・モンテスの本名ですね。
トーマスは美しいローラ・モンテスに惹かれますが・・・
なぜトーマスがローラ・モンテスと別れたのかは、定かではありません。
恋人と別れたローラ・モンテスはダンサーとしてデビューしますが・・・。
ローラ・モンテスのダンスは、男達を魅了していきます。
1843年6月、『スペインの踊り子、ローラ・モンテス』と銘打ってロンドンでデビュー。この頃はまだジェームズ夫人であった。彼女は自身が名付けた『タランテュラ・ダンス』という、体を蜘蛛がはうのを追う、性的な示唆を含めた手の動きでたちまち有名になった。
そんなとき、ドレスデンでフランツ.リストと知り合った。ローラが彼の目をじっと見つめると、リストは彼女の虜になった。しばらくの間、ふたりは、どこへ行くのも一緒で、喧嘩と仲直りを際限なく繰り返しながらも愛の生活を味わっていた。
ですがローラ・モンテスはフランツ・リストとも別れてしまいます。
ローラ・モンテスの踊りはどんどん有名になりますが、その過激さゆえ、反感も買いはじめます。
そのため、彼女は一流の劇場に立てませんでした。
そんなローラ・モンテスに再び懸想する男が登場します。
彼女に興味を持った文芸評論家アンリ.デュジャリエ氏がローラのダンスを見に来た。ふたりは、互いに惹かれ合う。 彼はローラをジョルジュ.サンドのサロンに連れていった。
この人物にローラ・モンテスは寵愛を受けたのですが・・・。
なんと、恋敵によって殺されてしまいました!
ローラ・モンテスの魅力のなせる業か・・・
その後、意外な人物がローラ・モンテスの魅力に惹かれます。
ローラに謁見したルートヴィヒ王は、すっかり彼女にのぼせあがって、ミュンヘン劇場での契約を約束し、3日続けてローラのダンスを見に行った。王はローラを王宮に連れていき、「私のいちばんの友」と紹介して大臣たちを驚かせた。
王は、ローラを溺愛し屋敷を与え贅沢を許し、爵位まで与えようとした。ローラは政治的野心が激しく、王を共和主義にするために、ジェスイット派を非難排斥しようとした。現職の諸大臣たちを辞職させ、進歩的な自由主義者たちで新しい内閣が構成された。「ローラ内閣」であった。
ローラ・モンテスに魅せられたルートヴィヒ一世の暴政は、まるで古代中国の楊貴妃のよう。
このまま支配者となるかと思われたローラ・モンテスですが・・・。
だが、ジェスイット派の教授を解雇させたことから学生たちの反感を買い、学生運動からその後、革命の気配になりつつあった事態に危惧した王はローラをババリアから放逐するという文書に署名した。
あともう一歩というところで、ローラ・モンテスは政治の世界から追い出されてしまいます。
以上、ローラ・モンテスに関する情報でした!
いやあ、恐ろしい悪女だったんですねえ。
ローラ・モンテスのような女、ひょっとしたら現代にもいるかもしれないですね!
例えばほら!あなたのそばに!
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