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2015/10/09
谷川俊太郎
生年月日:1931年12月15日(83歳)
出身地:東京府豊多摩郡杉並町
活動期間:1948年 -
ジャンル:詩、翻訳、絵本、評論、作詞、脚本
詩集の代表作:『二十億光年の孤独』『世間知ラズ』
1962年に「月火水木金土日のうた」で第4回日本レコード大賞作詞賞を受賞した。1964年からは映画製作に、1965年からは絵本の世界に進出した。映画においては、自ら“市川崑監督の弟子”と称して、もっぱら同監督の作品の脚本を手がけた。
2007年現在までに出版した詩集・詩選集は80冊以上におよぶ。子どもが読んで楽しめるようなもの(『わらべうた』『ことばあそびうた』など)から、実験的なもの(『定義』『コカコーラ・レッスン』など)まで幅広い作風を特徴としている。谷川の詩は英語、フランス語、ドイツ語、スロバキア語、デンマーク語、中国語、モンゴル語などに訳されており、世界中に読者を持っている。
御年83歳になった今も精力的に詩を発表し続ける詩人・谷川俊太郎。
谷川俊太郎は詩の制作の他にも、翻訳や絵本作家、評論家、作詞家、脚本家などマルチに活動しています。
今回は生きるレジェンド詩人・谷川俊太郎の素顔や名言、心に残る詩についてご紹介していきます。
パソコンで詩を執筆する谷川俊太郎の様子。
現在の谷川俊太郎は詩をパソコンで制作しているとのこと。
なんと、意外なことに谷川俊太郎は若者を凌駕するほどのパソコンマニアでした。
「いまメインで使ってるのはMacBook Proですね。外に行くときなんかはMacBook Air。AirはiPod touchで予定と住所録をクラウドで連携してますね。iPod touchはドコモのルーターを使ってネットにつなげて、青空文庫読んだりしてますよ」
インタビューに答える谷川俊太郎。
すらすら出てくるパソコン用語が83歳とは思えない…!
谷川俊太郎さんの意外な一面ですよね。
83歳にしてこんなたくみにパソコンを操っているとレジェンドたる理由がわかります。
谷川俊太郎さんは詩人として活動するまえから根っからの電機好きでラジオなどを集めていたそう。
新しいテクノロジーに興味があり、新しいことをやってきたんですよ。でも、頭打ちなんじゃないか。最近は詩にしても、アプリや電子書籍なんかもやりましたけど、紙のほうに興味が戻ってきてるんです
なかなか深い発言ですよね。
詩人・谷川俊太郎は言葉や詩に関して心にしみる名言をいくつか残しています。
いくつか谷川俊太郎の名言をピックアップしていきます。
「おぎゃーっ」と産まれてきたときには、
まわりは全部、他人の言葉ですよね。
お母さんでもお父さんでも、誰でもね。
赤ちゃんは、人の言葉を聞いて、
だんだん覚えていく。
つまりはじめは、
言葉は完全に他人のものだった。
では、いつ、自分のものになるんだろう。
それを自分のものにしていくことが、
人間が成長していく過程だと
ぼくは思っています。
詩っていうのは文字がない時代から世界中にあったもので、印刷技術が出来上がる前までの詩は、「文字」ではなく「声」だったわけです。だから歌にすごく近かったし、僕は詩人が自分の作品を自分の声で朗読するっていうのは、紙メディアで発表するのと同じくらい大事な気がしているんです。
ただ文字データがあればいいだけじゃないんですよ。僕も電子メディアで詩を読むことがあるんですが、味気ないんですよね。意味しか通じないというか。詩っていうのは、(言葉の)意味以外のものがいっぱいあるわけなんですよ。言葉の音とか。そこから湧いてくるイメージとか。だけど、ディスプレイで読むと、他の情報と全く同じように詩が見えてしまう。詩がたってこない。それが、本になると、本の個性みたいなものが、詩を応援してくれている。
谷川俊太郎の残した名言、如何でしたか。
谷川俊太郎の詩や言葉に関しての思いがひしひしと伝わってきますよね。
谷川俊太郎が只者ではないということが分かったところで谷川俊太郎の心に残る逸脱な詩を集めてみました。
生まれてきて限りない青空に見つめられたから
君たちは生きる
生まれてきて手を繋ぐことを覚えたから
君たちは寄り添う
生まれてきて失うことを知ったから
それでも明日はあると知ったから
君たちは誰も知らない自分を生きる。
谷川俊太郎が映画「誰も知らない」に寄せた詩です。
谷川俊太郎の言葉遊び歌の中の詩の1つです。
詩集「すてきなひとりぼっち」から
今回は谷川俊太郎の素顔や名言、詩について色々とご紹介しました。
谷川俊太郎の詩は膨大な量があり、どれも逸脱なものばかりです。
今回ご紹介したのはほんの一部でしかなく、まだまだ沢山逸脱な詩があります。
この記事をきっかけにみなさんも谷川俊太郎の魅力に気づいていただけたら幸いです。
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