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松田聖子と中森明菜の紅白共演はムリ!?二大アイドル因縁の歴史とは

歌手、松田聖子さんと中森明菜さんは、史上最強のライバルと言われています。25年前に、手首を切って自殺未遂をした中森明菜さんですが、きっかけは松田聖子さんと近藤真彦さんにあったようです。松田聖子さんと中森明菜さんの対照的な2人の関係について調べてみました。

松田聖子のプロフィール

松田聖子
本名   蒲池 法子(かまち のりこ)
生年月日   1962年3月10日(53歳)
出身地   福岡県久留米市
学歴   堀越高等学校卒業
職業   シンガーソングライター 女優
活動期間   1979年 -

中森明菜のプロフィール

中森 明菜
本名   中森 明菜
生年月日   1965年7月13日(50歳)
出身地   東京都清瀬市
ジャンル   アイドル歌謡曲、ポップス、J-POP
職業   歌手、女優
活動期間   1982年 - 1989年、1990年 - 2010年、2014年 -

松田聖子と中森明菜の25年前の因縁とは?

松田聖子さんは、男関係の噂が多いのですが、中森明菜さんが交際していた近藤真彦さんとも、フライデーされていたのですね。

聖子と明菜が紅白で共演──もしもこの噂が実現したら、"25年前の因縁"がついに決着を見せる歴史的な瞬間となるだろう。ご存じの方も多いと思うが、いまから25年前の1989年、明菜は当時、交際していた近藤真彦の自宅で手首を切るという自殺未遂騒動を起こした。その原因は、結婚、沙也加の出産を経た聖子が、ニューヨークでマッチと抱き合っているところをフライデーされたことが原因だとされている。

出典:http://www.excite.co.jp

中森明菜さんの自殺未遂事件は、当時もの凄く騒がれたので記憶にあるのですが、その原因が松田聖子さんと近藤真彦さんのフライデー記事にあったとは知りませんでした。

松田聖子さんと中森明菜さんの関係は、その後、どうなったのでしょう。

松田聖子、中森明菜、近藤真彦が25年前の紅白に落選!

やはり、スキャンダルの渦中にあった松田聖子さんと中森明菜さん、それに、近藤真彦さんは、その年の紅白には出られなかったのですね。

当然、その年、明菜とマッチは紅白を落選。まるでその腹いせのように、大晦日の夜にツーショット会見を行い、明菜が元気であることとマッチに非がないことをアピールした。だが、この会見も明菜は直前までマッチとの婚約発表だと言い聞かせられていたともいわれている。マッチの名誉回復というジャニーズ事務所の策略に、明菜は乗せられてしまったわけだ。ちなみにこの年、聖子もまた紅白を同じように落選し、紅白の視聴率(第2部)は初めて50%を下回った。

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当時、大人気だったアイドルが3人も紅白に出ないのですから、視聴率も下がってしまいますよね。

松田聖子さんと中森明菜さん、近藤真彦さんは、何をしていたのかというと、中森明菜さんと近藤真彦さんは、中森明菜さんの自殺未遂事件を受けて、記者会見をしたのですが、中森明菜さんは、近藤真彦さんの名誉回復のために利用され、松田聖子さんは、どこにも現れませんでした。

松田聖子と中森明菜、因縁の2人が21世紀に紅白で共演!

そんなことがあれば、当然、松田聖子さんと中森明菜さんの仲には亀裂が入りますよね。

それ以降、松田聖子さんと中森明菜さんが一緒に歌番組に登場することはなかったのでしょうか。

現在のAKBが目にもならないほどの国民的人気を誇った聖子と明菜というトップアイドルが、紅白を巻きこむかたちで繰り広げた一大スキャンダル。その当事者がこの21世紀に紅白で共演するかもしれないというのだから、芸能マスコミが騒ぐのも無理からぬ話である。それでなくても、このふたりは日本のアイドル文化を語る上で絶対に外せない"史上最強のライバル"同士なのだから。

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こんなに仲の良さそうな松田聖子さんと中森明菜さんだったのに、残念ですね。

どうして松田聖子さんは、中森明菜さんと近藤真彦さんが交際していることを知っていながら、フライデーされるようなことをしてしまったのでしょう。

松田聖子と中森明菜の相反する魅力とは?

松田聖子さんと中森明菜さんは、なぜライバルと呼ばれるようになったのでしょう。

しかし、なぜふたりはライバルと呼ばれるようになったのか。そこには聖子と明菜の、相反する魅力が関係している。

まず、よくこのふたりが比較されるために若い人は誤解していることも多いが、聖子と明菜は同期などではない。年齢は聖子が明菜の3歳上、デビュー年も聖子が1980年、明菜が82年と開きがあり、明菜は『スター誕生!』の予選で聖子の「裸足の季節」を歌ったこともあった(結果は落選)。聖子の絶頂期に、明菜は後を追うようにデビューしたわけだ。

甘い幸福を歌わせたら、松田聖子の右に出る者はいない。

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松田聖子さんの方が中森明菜さんより2年早くデビューしているのですね。

ということは、松田聖子さんと中森明菜さんは、先輩と後輩の仲ということになりますよね。

ライバルと言われるようになって、松田聖子さんは、中森明菜さんのことを、どのように見ていたのでしょうね。

全くタイプが違う相手に対して、嫉妬ややきもちといった感情は、なかったのでしょうか。

不幸を歌わせたら中森明菜の右に出る者はいない

いわゆる、松田聖子さんが「明」のイメージだとすると、中森明菜さんは「暗」のイメージといったところでしょうか。

そして、不幸を歌わせたら、中森明菜の右に出る者はいない〉と評されているように、ふたりは対照的なアイドルだった。これは、聖子が山口百恵の人気を打破するために"百恵アンチ"路線で売り出され、つづく明菜が"アンチ聖子=百恵路線"を踏襲したことも大いに関係している。

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当時の松田聖子さんと中森明菜さんが着ている衣装を見ても、作り上げようとしているイメージからくるカラーが全く違いますよね。

松田聖子さんが"百恵アンチ"なのはわかりますが、中森明菜さんが"アンチ聖子=百恵路線"だとは知りませんでした。

これは、松田聖子さんと中森明菜さんの関係を築く上で、まずくないですか?

追われる立場の松田聖子さんは、気が気ではなかったでしょうし、中森明菜さんだって、良い気持ちはしなかったと思いますね。

松田聖子さんと中森明菜さんの関係が上手く行っていれば、もしかしたら、近藤真彦さんの一件は起きなかったのかもしれませんね。

松田聖子のイメージは”永遠の少女” 中森明菜のイメージは”孤独”と”諦観”

松田聖子さんと中森明菜さんのイメージを全く違うものにするのは、問題ないと思うのですが、それが、それぞれの”個性”ではなく、”対立”と言われてしまうところに、問題があるのではないでしょうか。

その"対立"は詞の世界にも表れている。聖子には、松本隆・呉田軽穂(松任谷由実)の最強タッグによる「瞳はダイアモンド」(83年)という名曲がある。この歌のなかの主人公は、〈失恋して傷ついて泣いてはいるのに、自分はダイアモンドだと言い切ることで、それを乗り切る〉のだ。片や、明菜は井上陽水・作詞曲の「飾りじゃないのよ涙は」(84年)で、「ダイヤと違うの涙は」と歌う。これは井上陽水の軽いお遊びだったのかもしれないが、それでも聖子がまとう"永遠の少女"と、明菜の"孤独""諦観"というイメージの相違が見てとれる。

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松田聖子さんと中森明菜さんを、対立させたり争わせたりするから、近藤真彦さんを略奪するようなことが起きてしまうのではないでしょうか。

それとも、全く関係のないところで起きた事件だったのでしょうか。

どちらにしても、そのことが引き金となって、中森明菜さんは、鬱病を患うことになってしまいます。

松田聖子と中森明菜、それぞれの人気の秘密

松田聖子さんと中森明菜さんの個性は、"ブリッコ"で"嘘泣き"まで披露する松田聖子さんに対して、派手さや華やかさはないけれど、大人っぽくシックで陰のあるキャラクターで勝負する中森明菜さんといった具合に、松田聖子さんと中森明菜さんの間に、交わり合うところは全くありませんでした。

しかし、ふたりが正反対なのは、お察しの通り、そのパーソナリティにある。いまなお"ブリッコ"と呼ばれつづける聖子はデビュー時から笑顔を絶やさず、賞レースでは泣き声なのに涙が出ていないという"嘘泣き"まで披露。一方、明菜が人気を獲得したのは、その不器用さだった。〈歌番組で自分の番になって出て来るときに、いつも自信がなさそうにオドオドしている〉姿と〈歌いだしたときの変わり身の鮮やかさ〉が魅力だったのだ。

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松田聖子さんと中森明菜さんが、それぞれ、この時代を代表するスーパーアイドルでいられたのは、個性がかぶらなかったせいかもしれませんね。

芸名が松田聖子と中森明菜に与えた影響とは?

芸名が松田聖子さんと中森明菜さんの運命を分けたと言う人もいます。

それはその後、彼女たちが見舞われたスキャンダルのときにも如実に違いが表れた。バランス感覚を保つことに長けた聖子と、ずるずると引っ張られてしまった明菜。......その原因のひとつとして、著者は"芸名"の問題を挙げる。聖子の本名は、蒲池法子。当初は「新田明子」という芸名が用意されていたが、これを彼女は気に入らず、〈姓名判断の占い師が提示してきた、第二の芸名候補〉だった「松田聖子」を選んだ。明菜は、事務所から「森アスナ」という芸名を提示されたが、明菜は拒否。「中森明菜で、私、やっていきたいんです」と本名にこだわった。

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確かに、名前がその人のイメージを左右するというのはわかります。

他者から見てイメージが変わるだけでなく、自分自身も、芸名と実名が違えば、ステージ上の自分と素の自分を分けて考えられそうですよね。

松田聖子さんは実名を胸の奥にしまい込み、徹底して”松田聖子”を演じ、中森明菜さんは実名のままだったために、逃げ場を失ってしまったということなのでしょう。

本名とはまったく違う芸名で〈松田聖子を演じきっていた〉聖子と、本名で勝負したことで〈逃げる場がなかった〉明菜。──キャラ化という言葉などまだない時代に聖子は見事にそれをつくりあげ、不倫や再婚といったスキャンダルをも自分の追い風にしていった。他方、明菜はどこまでも不器用で、芸能界を上手に渡ることもできないからこそ"孤高の歌姫"という伝説になった。

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そう考えると、松田聖子さんの現在にも納得が行きます。一般人男性と結婚して、葬儀にも、一般人の妻として出席し、その役割を完璧にこなしていたと言います。

そろそろ、”松田聖子”だけでなく、”蒲池法子”としても、生きて行くつもりなのではないでしょうか。

中森明菜さんも、レコーディングを始めるなど、結婚相手に支えられながら、少しずつ歌姫として、芸能活動を再開しようとしているように見えます。

高い歌唱力と天才的な表現力を持った松田聖子と中森明菜の今後の活躍に、乞うご期待!

「アイドルの枠組みを超える高い歌唱力と天才的な表現力」を兼ね備えた松田聖子さんと中森明菜さんが、素晴らしい歌手であるということは、みんなが認めていると思います。

こんな両極端なふたりが同時代にアイドルになった、それだけで奇跡だが、何より重要なのは、アイドルの枠組みを超える高い歌唱力と天才的な表現力をふたりしてもち合わせていたことだ。だからこそ、世間は聖子と明菜に夢中になったし、いまなお注目してしまうのだろう。

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芸能界で、明暗を分けた松田聖子さんと中森明菜さんですが、それぞれの運命に翻弄されながら、同じ時代を生きた2人の歌姫の今後の活躍に、乞うご期待ですね!

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